アパレル起業家の再挑戦を支える「本気の」オンライン副業──波乱万丈の歩みと共に

「私、副業って表現がしっくりこなくて」

そう語るのは、インドネシア・バリ島在住のアパレル起業家、Tomomiさん。ヨガ講師・ライターと多彩な肩書きを持ちながら、オンラインアウトソーシング(※1)「HELP YOU」でも進行管理の役割を中心に活躍するマルチプレーヤーです。

「裏方力」は在宅フリーランスでも武器になる──進行管理で支えるアドミンの仕事

起業家にとっては事業が第一で、HELP YOUは"オンライン副業"という位置付けなのかと思いきや、Tomomiさんいわく「"副業"という感覚はない」とのこと。

17歳で有名ファッション誌の編集長アシスタントとなり、19歳でスタイリストとして独立、23歳に立ち上げたアパレル事業で成功。異色の経歴を持つTomomiさんの歩みに触れるとともに、やり手の起業家がHELP YOUを続ける理由を紹介します。

▶︎ 起業家、会社員、主婦。多彩なメンバーが集まるHELP YOUとは

※1 オンラインアウトソーシングとは在宅でインターネットを活用し、業務サポートを行うサービス。

インタビュイー

Tomomiさん
高校在学中、有名ファッション誌の編集長アシスタントとしてキャリアをスタートし、その2年後にはスタイリストとして独立。有名誌をまたいで活躍し、第1子の妊娠を機にバリ島へ海外移住。その後立ち上げたアパレル事業で成功を収め、コロナ禍と病気で休業するも、バリ島に恩返しをするため伝統的刺繍を取り入れた新たなブランド「IVY.」を立ち上げる。入院中に始めたオンラインワークの延長で、HELP YOUにジョイン。ヨガ講師・ライターとしても活躍中。

ライター

三代知香
飛騨在住のフリー編集者。会社員時代はIT企業でマーケティングやPM、自社ブログの編集長を経験。メディアの立ち上げ経験を生かし、「くらしと仕事」のアクセス解析や新人育成を通して成果向上に取り組むほか、インタビューライターとして働き方や地方活性化をテーマとした記事を手がける。1児の母。→執筆記事一覧

高校時代に憧れのファッション誌で編集アシへ

──17歳からファッション業界の第一線で活躍し、20代で事業を成功させ、現在もアパレル事業を経営されているんですよね。それほどの才能とバイタリティあふれる方が同じ職場にいるとは驚きです! もともと、ファッションの世界を目指していたのですか?

ファッション業界に強い思いがあったわけではありませんが、むかしから洋服は大好きでした。小学生の頃には裁縫に夢中になり、食事も忘れてしまうほど。気に入った服があると、一度バラして型紙を起こし、可愛い生地を使って手縫いで仕立て直していたんです。見かねた母がミシンを買ってくれて、そこから趣味が一気に加速しました。

高校生の時、大好きだったファッション誌で編集長のアシスタントを募集していて、すぐに応募したのですが、最初は相手にされませんでした。でも、何度も「履歴書だけでも見てください」と電話し、ようやく面接の機会をもらえたんです。

ただ、面接ではあまり手応えがなく、さすがに諦めかけていた頃、3日後に「明日の朝5時に編集部に来られる?」と連絡があって。どうやら撮影現場で欠員が出たようで、厳しい現場でしたが、その日をやりきったことで採用が決まりました。

憧れの雑誌に自分の名前が!忘れない卒業の日

──すごい行動力ですね! ただ、学業との両立は難しかったのでは?

担任の先生がとても理解のある方で、応援してくださったことに感謝しています。進路相談の時も「この道でいきます」と迷いなく伝える私に対し、「もう職場が決まっているなら、出席日数さえ足りていれば、あとは仕事に集中して大丈夫」と最大限の配慮をしてくれました。

そのおかげで、無事に高校を卒業することができました。忘れられないのは、卒業式の日と、私が携わった雑誌の発売日が、ちょうど同じ3月7日だったことです。前の晩、仲の良い友人と3人でお泊まりをして、卒業式へ向かう途中、コンビニに立ち寄りました。

そこで雑誌を手に取り、ページを開くと、自分が関わった企画の中に「Special Thanks Tomomi」の文字があって。「憧れの雑誌に、自分の名前が載っている……!」と、感動で胸がいっぱいになった瞬間は、今でも鮮明に覚えています。

ファッション熱が急低下、妊娠を機に海外移住

──素敵な思い出ですね。その後スタイリストとして独立し、23歳でバリ島に移住されたそうですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

スタイリストの仕事は、繁忙期とそうでない時期がはっきり分かれていて、その空いた時間を使ってよく海外旅行をしていました。そんななかで訪れたバリ島で、人生観が大きく変わったんです。

現地では、子どもたちが裸で元気に走り回っていて。決して裕福とはいえない暮らしぶりなのに、本当に楽しそうに笑っていたんです。もちろん、私が観光客として見たのは、現地の暮らしのほんの一面に過ぎません。でもその姿と東京での自分の生活を比べた時、アパレルに対する思いがすっと冷めていくのを感じました。

例えば、東京では日常だった「それ、どこの靴?」といった会話すら、なんだか空虚に思えてしまって。

「モテたいならこの服」「これはダサい」なんて言いながら、最先端のファッションを追いかけて広めていく──そんな仕事のあり方に、少しずつ違和感を覚えるようになりました。それまでの仕事や過去の自分を否定するつもりはありませんが、当時の私の心境にはもう合わなくなっていたんです。

そんな時、第1子の妊娠がわかりました。ちょうどバリ島で事業をしていた当時の夫(結婚生活10年目に円満離婚)からの「バリで子育てしない?」という提案もあり、スタイリストを辞めて海外移住を決意しました。

──未成年の頃から20代前半で、すごいスピード感ですね……。その後、アパレル事業を立ち上げたんですよね。

はい。でも「事業を成功させたい!」と意気込んで始めたわけではなかったんです。当時、元夫がレザー製品の輸出事業をしていて、余った革を使って靴を作ってみたのがきっかけでした。それをSNSに投稿したところ、「欲しい」と言ってくれる人が少しずつ増えていって。

最初の事業立ち上げのきっかけとなったレザーサンダル(2012年)。

 

ただ、靴の販売は思った以上に難しくて……。その頃にはすでに「バリ島で可愛い服を作ってみたい」という思いが芽生えていて、洋服作りにシフトしました。すると、それが大きな反響を呼び、大手の海外通販サイトでは1日に200件売れるほどの規模にまで事業が成長しました。

最初に立ち上げたブランドの色彩豊かな服たち(2013年)。

 

マスメディアにも取り上げられるほどの人気ぶり(2018年)。

 

抗がん剤治療の合間に始めたオンラインワーク

入院生活のお供にしていた、暇つぶしグッズいろいろ。

 

──ひょんなきっかけで始めた事業が成功したんですね。私はてっきり、事業を軌道に乗せる過程で、生活基盤を安定させるためにHELP YOUのオンライン副業を始めたのかと思っていました。

実は、オンラインでの仕事を始めた理由は全く別にあって。きっかけは、コロナ禍自身の病気でした。

当時、10年来の大切なビジネスパートナーをコロナで亡くしてしまったんです。彼は工場の全てを取り仕切ってくれていて、彼なしでは事業の継続が難しい状況でした。

そんな矢先に、現在の夫との間に授かった第3子の妊娠がわかりました。これが最後の子育てになるという思いもあって、事業をたたみ、子育てに専念することを決めたんです。

出産の翌年には、子宮頸がんが発覚。抗がん剤と放射線治療のために、1か月半ほど入院することになりました。

Tomomiさんが手がける、がん治療の体験記

3人の子育てで忙殺されていた日々とは打って変わって入院中は本当に暇で(笑)。ただ時間を過ごすのがもったいなくて「何か生産的なことがしたい」と思い立ち、「在宅ワーク 主婦 パソコン」と検索してみたんです。そこでいくつかのクラウドソーシングに登録し、ライターの仕事を始めました。

とはいえ、当初は「ライター」と名乗るのもおこがましいレベルで。例えば「中見出しの後に小見出しを入れる」といった基本的なルールすらわかっていませんでした。

それでも、ありがたいことにクライアントに恵まれ、仕事を通じて学びながら少しずつライターとしての経験を積んでいきました。

文字単価0.1円から始まった在宅ライターの道

最初は文字単価0.1〜0.3円というところからのスタートでした。でも次第に「0.5円に上げるので、構成から作ってみませんか?」「0.8円で、画像の選定もお願いできますか?」「1.5円で、他のライターさんの校正もお願いしたいです」といった形で、だんだんステップアップしていったんです。

文字単価1円以上になった頃から、応募した案件の獲得率も上がり始め、記名記事を担当するようになったタイミングで「私もライターって名乗っていいのかも」と少し自信が持てるようになって。他の高単価案件にも挑戦してみようと探し始めた時に出会ったのが、HELP YOUでした。メンバー全員がフルリモートワークをしていると知って、海外在住の私にはまさにぴったりだと思ったんです。

──HELP YOUでは、ライティングのほか、進行管理やインドネシア語の翻訳も担当されているんですよね。案件数はどれくらいあるんですか?

現在は、7〜8件の案件を担当しています。実は、一度事業をたたんだ後、ある出来事をきっかけに新たなアパレル事業を立ち上げ、今はHELP YOUと並行して取り組んでいます。

70歳になっても続けたい。”副業”を辞めない理由

──両立は難しいのではないでしょうか?

おっしゃる通り、完璧に両立できているとはいえません。ただ、インドネシアの経済的な背景もあって、自宅にはお手伝いさんがいます。子どもの送迎や家事を任せられているおかげで、何とかやりくりできている状況です。

移住当時から15年間お世話になっているお手伝いさん(2011年)。

 

──収入の内訳とリソース配分はいかがですか?

現在の私の収入源は、HELP YOUに加え、アパレル事業・他社でのライター業・ヨガの講師業の3つです。これら3つを合計した収入とHELP YOUの収入は、おおよそ1:1。稼働が多い月は、HELP YOUの方がやや上回ることもあります。

ただ、使える時間のうち、およそ9割はHELP YOUに充てています。クライアントワークには納期があるため、自ずと優先順位を高く設定するようになりました。HELP YOUの稼働の合間に、事業を進めているというのが正直なところです。反対に、納期がなければ後回しにしてしまい、オンラインワークでここまで稼げるようにはならなかったかもしれません。

──起業家にとって、事業が最優先だと思い込んでいました。事業に割けるリソースが限られても、HELP YOUでの稼働を減らしたり、辞めたりしないのはなぜですか?

それは、楽しくなってしまったからです(笑)。

業務の枠を超えて、HELP YOUのフリーランス仲間と交流する時間が、私にとって癒しのひと時なんです。「この人と一緒に働きたい」と思えるような、素敵なメンバーがたくさんいて。同じチームのメンバーに至っては「クライアントにより良いサービスを提供する」という共通の目的のもと、建設的な議論を交わせる戦友のような存在です。その人たちとつながっていたいから続けているというのが一番大きな理由です。

数年後には、長男の大学受験に合わせて日本に帰国し、そのタイミングで夫や義母とヨガ事業を立ち上げる構想もあります。たとえ、そこでHELP YOUに割ける時間が減ったとしても、何らかの形で関わり続けたいと思っています。60〜70歳になっても、ゆるくでもいいから、ずっと関わっていたいですね。

▶︎ 離れていても仲間とつながれる、HELP YOUのオンラインワーク

「人の役に立ちたい」性格とHELP YOU事業がマッチ

──「人」がモチベーションの根源にあるんですね。

そうですね。それに加えて、自分の事業とHELP YOUでのクライアントワークで得られる「やりがいの種類」が違うことも、大きな理由の一つです。

自分の事業では、自分自身がゴールを設定し、それに向かって進めていきますよね。一方、800社以上の業務をコンサルティング・サポートしているHELP YOUでは、クライアントの目的を達成するために動きます。

私にとって、より大きな達成感が得られるのは、後者なんです。たぶん私は、誰かの役に立つことに一番やりがいを感じる性分なんだと思います。

バリに恩返しを。伝統的刺繍の魅力を後世につなぐ

バリ島への愛を思い出させてくれた、レンボンガン島の風景(Tomomiさんのご友人が撮影)。

 

──新たに立ち上げたアパレル事業についても「バリ島の人々の役に立ちたい」という思いから始まったんですよね。

はい。もし数年後に日本へ帰国することになるのなら、その前にバリ島に何か恩返しがしたい。そんな思いで、新たにアパレル事業を立ち上げました。手がけているのは、バリ島の伝統的な刺繍を取り入れた洋服です。

最初に立ち上げたブランドとは異なり、落ち着いたモノトーンのデザイン。40代となった今の自分が「本当に着たい」と思えるものを、かたちにしている。 ▶︎ Instagram

 

正直にいうと、ここ数年のバリ島の変化に、地域への思いが少し冷めていた自分もいました。インバウンドの増加とともに、ヴィラやホテル、カフェの建設が加速し、交通量が増えたことで渋滞が日常になっていたんです。発展自体が悪いことではないと理解しつつも、15年前に移住した当時の「好きだったバリ島」は、もうそこにはないように感じていました。

そんななか、友人の勧めで訪れたレンボンガン島で、忘れかけていた原点の気持ちを思い出しました

古き良きバリ島の魅力がつまった一枚(Tomomiさんのご友人が撮影)。

 

レンボンガン島は、同じバリ島内にある離島で、静けさと田舎の風景が今も残る場所です。ガムラン(※2)の音が聴こえてきそうなほど穏やかで、美しい景色に心を打たれ、「あぁそうだ、私はこういうバリが好きだったんだ」「今こそバリ島のために私ができることをしたい」という気持ちが再び湧き上がってきました。

※2 インドネシアの伝統的な打楽器中心の合奏音楽。

レンボンガン島の絶景を前に、パートナーとビールチル。至福のひと時。

 

その後、かつてお世話になった縫製工場の方に、9年ぶりに連絡を取りました。「また洋服作りを始めたい」と伝えると、すぐに再会の場を設けてくださって。その時に知ったのが、バリの刺繍を施せる職人さんは50〜60代が多く、後継者がほとんどいないという現実でした。つまり、30年後には、この伝統が失われてしまう可能性があります。

けれど、もし刺繍の魅力が広く伝われば、次の担い手も現れるかもしれない。そんな思いから、この事業を始めました。

「IVY.」刺繍の縫製工程。

 

最近では、大手百貨店での取り扱いや、ポップアップストア出店の打診もあり、準備に追われる日々です。睡眠時間を削ることもありますが、それでもHELP YOUは辞めたくないし、ビジネスチャンスもつかみたい。そこはもう、根性ですね(笑)。編集長アシスタント時代に、睡眠時間を削ってがむしゃらに働いていた経験が、今になって生きている気がします。

2024年、松屋銀座で開催された「IVY.」のポップアップストアにて。

 

主婦の友社が運営する40〜50代向けのメディア『OTONA SALONE』にも取り上げられ、話題となった。

 

──それでも、事業に専念するつもりはないんですね。

そうですね。私はHELP YOUを“副業”と捉えていませんが、もしそう定義するなら、辞めれば“本業”にもっと時間を割けるのは確かです。でも、私がこうしてもう一度アパレル事業に挑戦できているのは、HELP YOUという居場所があるからなんです。

HELP YOUの存在が、安心して挑戦できる土壌──精神的な支えにもなっていて、だからこそ今の自分があります。

まとめ

まるで映画や小説のような、波乱に満ちたTomomiさんの人生。やり手の起業家である彼女が、あえて事業に割く時間を減らしてでもHELP YOUでのオンラインワークを続ける背景には、安心感をもたらすフリーランス仲間たちの存在がありました。

HELP YOUには、Tomomiさんのように個性あふれる経歴を持つメンバーが他にもたくさんいます。いわゆる“良い大学”を出て“良い企業”に入ったエリートもいれば、「凡庸な主婦」と自称しながら多彩なスキルを隠し持つメンバー、さらには、世界を飛び回りながら孤児院の設立を目指すメンバーも。

普段何気なく一緒に仕事をしている相手が、実はすごい人だった——。そんな新鮮な驚きが日常的にあるのは、世界各国・全国各地のメンバーがオンラインで集まるHELP YOUならでは。ここには、場所にも肩書きにもとらわれない、新しい働き方のリアルが息づいています。

▶︎ 多様な出会いが、ここにある。HELP YOUにエントリー

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