127か国を旅して見つけた、夫との出会い──ノマドワーカーが語る「夢」を追い続ける生き方
「アフリカに孤児院を建設したい」。その夢を叶えるために、田崎起子さんはHELP YOUでリモートワークをする傍ら世界中でボランティア活動をしています。約2年前、アフリカのコートジボワールで共通の夢を追いかけるパートナーと出会い、2021年10月に入籍しました。リモートワーカーとボランティア活動家、二足のわらじを履きながら精力的に夢の実現を目指す田崎さん。その生き方の背景にある思いについて聞きました。
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目次
ライター
ロックダウンで意図せず共同生活がスタート
ご結婚おめでとうございます!
ありがとうございます!
パートナーの方とはどこで知り合ったのですか?
コートジボワールの孤児院です。ボランティアで訪れた時に出会いました。
コートジボワールの公用語はフランス語なのですが、私はフランス語を話せないので、施設の方とコミュニケーションをとれなくて困っていたんです。そんな時に、英語を話せる彼が通訳をして助けてくれました。
彼は、普段は小さなレストランを経営していて、私と同様にボランティアという立場でその孤児院に携わっていました。
最初に出会った時から「素敵だな」とは思っていたんです。でも、親子ほどに年が離れているので、コートジボワールに滞在している間は息子のような存在として接していました。
そこからどのように関係を深めたのでしょう?
コートジボワールを離れた後に、ガーナやトーゴの各地を転々としていたのですが、どうしても彼の存在が気になり会いに戻りました。2016年に世界を旅する生活を始めて以来、「旅の途中で恋愛はしない」「後戻りはせず前に進み続ける」と自分の中で決めていたのですが……。長年守り続けてきたルールを破ってでも会いたい気持ちの方が勝ったのです。
直接会って話すことで、お互いの気持ちを確かめ合いました。その後、私は一度日本へ帰国し、1か月半後にフィリピンで落ち合うことに。再会と同時期に新型コロナウイルスの問題が深刻化し、インドネシアに移動した2日後にロックダウンになりました。結果的に、しばらく一緒にくらすことになったんです。
予想だにせず始まった共同生活は1年ほど続き、その間に互いの価値観をすり合わせていきました。24時間一緒にいなければならないストレスもあり、喧嘩もたくさんしましたね(笑)。それでも、共に人生を歩みたい気持ちの方が勝り、2021年10月に入籍しました。
同じ時間を過ごすなかで、印象に残っているエピソードはありますか?
コロナが少し落ち着いてきて、ようやく国をまたぐ移動ができるようになった時のことです。コートジボワール行きの航空便を予約していたのですが、搭乗の直前で抗原検査の結果が出るまでに1日かかることを知り、結局その日は乗れずじまい。搭乗日を変更したことで、結果的に1.5倍の金額を払うはめになりました。
よく調べたり考えたりせず、思い立ったらすぐ行動に移してしまうところは、私と彼の共通点ですね。
裸族の子との出会いから生まれた「夢」
行動パターンが似ているところも、互いに惹かれた理由かもしれませんね。
そうですね。あとは、彼が私と同じ「アフリカに孤児院を建設したい」という夢を持っていたことも大きかったです。
田崎さんはその夢の実現に向けて、現在は世界中でボランティア活動をしているのですよね。
はい、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に悩む子どもたちが、安心してくらせる孤児院を造りたいと思っています。建設にあたって、まずは各国の実情を知ることが重要だと考えました。特に、支援の手が届きづらい、個人で運営している孤児院を巡っています。
孤児院を訪れた際には、必ず100ドルを寄付するのがマイルールです。発展途上国では、100ドルでもできることが多くあります。例えば、アフリカ南東部にあるマラウイという国では、子ども30人の食費1か月分を賄えました。
このような各国の実情を発信し、日本を含む世界中に知らせることもライフワークの一つです。発信の際は、アフリカの子どもたちが「不幸」「かわいそう」という印象を持たれないよう気を付けています。
なぜなら、彼らは決して不幸ではないから。厳しい環境でも、前向きに明るく生きていることを伝えていきたいですね。
そもそも、なぜ今の活動を始めようと思ったのでしょう?
パプアニューギニアで裸族の子どもたちに出会ったのがきっかけです。
もともと服飾デザイナーをしていたのですが、洋服作りが嫌になる出来事があって……。そんな時に、ある写真を通して裸族の存在を知り、写真家に問い合わせて撮影地を訪れてみたんです。
裸族の子どもたちと接するなかで、発展途上国の子どもが置かれている状況を目の当たりにし、支援していくことを決めました。
次にアフリカを訪れた時、ある子どもから言われた言葉が今でも深く胸に刻まれています。
「自分は一生『ここ』から出られないから、代わりに世界を見て、世界のことを教えて」と。
幼いながらに現実を受け入れている様子に心を揺さぶられました。その時に、2つのことを約束したんです。1つは、世界中を巡り、そこで見てきたものを必ずあなたたちに伝えるということ。もう1つは、あなたたちの存在を世界中の人に知らせるということです。
子どもたちとの約束が今も私を突き動かす原動力になっています。
共通の「夢」を追うパートナーの存在
素敵ですね。パートナーとの出会いや結婚は、田崎さんの夢にどんな影響を与えましたか?
先ほども言ったように、彼も孤児院の建設を目指しているので、これからは2人の夢として追いかけられるのが嬉しいです。
思い描く孤児院のかたちも、彼との出会いを通じて徐々に変化しています。
もともと、孤児院の隣に病院や学校を併設したいという思いがあります。アフリカの実情として、孤児院でくらす子どもたちが十分な医療や教育を受けられる一体型の施設は多くないからです。
加えて、彼は「牧場を併設して、自給自足の生活ができるようにしたい」と言います。それを最初に聞いた時、「なんて素敵なアイデアなんだろう」と感動しました。2人で少しずつ考えをすり合わせながら、夢をかたちにしていきます。
日本にいる仕事仲間とのつながりが支えに
結婚を経てワークスタイルに変化はありましたか?
特にありません。私は、もともとHELP YOUでリモートワークをしているので、世界のどこにいても働き続けることができます。それは結婚しても同様です。
HELP YOUでのフルリモートという働き方が、田崎さんのライフスタイルにぴったりはまったのですね。
はい。2018年にHELP YOUへジョインする以前は、アパレル貿易会社を経営していました。並行して、世界各国を旅していたのですが、次第に無理が生じるようになり……。
経営権を譲渡して、私自身は顧問という形で関わることに。しばらくは顧問としての報酬でやりくりをしていましたが、やはり新しく仕事を見つける必要がありました。
そんな時に出会ったのがHELP YOUです。最初は、フルリモートで働けることに魅力を感じてジョインしましたが、今ではそれ以上の価値を実感しています。
というと?
仕事を通じて生まれた、人との温かいつながりが、今の私を支えてくれています。世界を回っていると、日本語を話す機会はほとんどなく、ふと孤独を感じる時があるんです。
HELP YOUでは、リモートでも日本にいる仲間の存在を身近に感じることができます。なかには、私の夢を応援してくれる人も。そうした方々に支えられているからこそ、夢を追い続けることができています。
人の幸福を喜べる自分であるために
仕事をしながら世界を巡り、ボランティア活動をする生活はとてもハードだと思います。それを可能とするバイタリティの源は何ですか?
自分の子どもを持てなかったことが大きいと思います。
よく周りから「夢を追いかけていていいね」「自由でいいね」と言われるのですが、実は、私の夢って「お母さんになること」だったんですよね。子沢山の良妻賢母が夢で。でも、25歳の時に叶わないことがわかりました。
以来、友人の出産報告を聞いても素直に喜べない自分がいて……。そんな自分がとても嫌だったんです。人って弱いので、自分のことを不幸だと思っている限りは、どうしても他人を羨んだり妬んだりしてしまうんですよね。
人の幸せを喜べる自分でありたい。そのためには、まず自分自身が幸せになる必要があると感じました。
だからこそ、やりたいことがあったら、そこに向かって突き進むようにしています。
何も諦めず、何も犠牲にせず、自分の生き方を選べているのは、彼や、これまでに出会った世界中の子どもたち、そしてHELP YOUで一緒に働く仲間のおかげです。この感謝の気持ちを胸に、今後とも夢の実現を目指します。
まとめ
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