会社倒産の危機?!ゼロからの再出発。そして出会ったアフリカの子どもたちの支援というライフワーク

アパレル業で海外に進出、会社経営まで果たした田崎起子さん。ビジネスパートナーの裏切りから転落、周囲の人の力を借りて再起することができました。その経験から、「お金を人のために使おう」とアフリカの子どもたちの支援をライフワークに。HELP YOUのリモートワークを始めたおかげで、世界中を移動しながら働くことができているそうです。

インタビュイー

田崎 起子さん
不妊、離婚を経験し、単身で香港へ渡り起業。現在は世界制覇を目指してボランティアしながら123か国目訪問中。未承認国家も含む220ヶ国の訪問を終えたら、アフリカでHIV孤児のための総合施設を設立するのが目標。それを実現する方法を探していた時に「HELP YOU」と出会う。目標に向かい現在ディレクターとして奮闘中

ライター

鈴木せいら
札幌市出身。横浜国立大学大学院工学修士修了。2007年夏より、函館へ移住。制作会社でライティング・編集業務を行い、実用書・フリーペーパー等のコンテンツ制作を担当、2011年よりフリーランスに。現在、「HELP YOU」プロフェッショナルライター。理系の知識を活かしたサイエンスやアカデミー系の文章から暮らしにまつわるエッセイ、インタビューなど幅広く手がける。

デザイナーに憧れてアパレル業に。不妊宣告に傷ついて日本を飛び出した

今日は滞在先のアルジェリアからお話してくださっているんですね。田崎さんは海外に渡る以前、日本でどんな仕事をされていたのですか?

20年来香港を拠点に、日本や海外を飛び回っています。日本にいた頃はアパレル業界で、昔から憧れていたデザイナーの仕事をしていました。結婚して「子どもが欲しい!」と思ったのですけど、早い段階から医師に不妊体質であることを告げられ衝撃を受けました。29歳の時に、「香港でアパレルの仕事をしないか」とお声がけがあり、「じゃあこれからの人生、私は仕事に邁進しよう!と単身で香港に渡りました。その後夫にはあきれられて離婚になってしまうのですけど……。

香港でもデザイナーとして、上海のデパートに入るブランドの仕事をしました。今度は、「一緒にアパレルの会社を立ち上げないか」と知人から誘いを受け、起業することに。わずかな日本円で会社登記することができ、トントン拍子に話が進みました。

香港で起業し、大成功を納めたはずが。ビジネスパートナーの裏切りで一夜にして転落

香港でビジネスパートナーと会社を立ち上げられ、経営者に。海外で会社を経営するというのは、大変だったのでは?

当時私は英語も中国語もできず、会社の金銭管理のすべてをビジネスバートナーに任せていました。

当時はアパレル業が好調で、経営は波に乗ってあっという間に年商1億にまで成長しました。ところが、私が34歳の時です。ある日突然、ビジネスパートナーが会社のお金をすべて持ち逃げしてしまいました。呆然としましたが、その月のうちに支払わなければいけないお金が1500万円。私はスタッフを守らなくちゃいけない。必死で頭を下げて回りました。逃げずになんとかしようと動いている私を信用してくれて、取引先の方たちが支払いを待ってくださったんです。

それに、スタッフも会社に残ってくれたんですね。社員が2人と中国の検品担当が3人いましたが、検品の人たちは工場で受け入れてもらいました。とにかく社員の給与を工面しようと、アルバイトもしましたね。借金の取り立てで嫌がらせを受けたりもしましたが、とにかく必死でした。

その窮地を脱することができたのは、何がきっかけだったのですか?

日本人のお客様が、お金を融資してくれました。それだけではなく、私がなりふり構わずお金を工面しようとしている様子を見るに見かねて、「あなたの未来に投資するから、もっと余裕を持ってビジネスに取り組んだ方がいい」とさらに増資してくださいました。そのおかげで、私も改めてビジネスを俯瞰して見ることができたんですね。そこから、CADを導入して日本人監修でパターンを作成するシステムを始めました。語学も勉強して。どうにか借金を返済することができました。

私にとって、人を嫌いになること=負け。受け入れて努力すればすべてがうまくいく

大変な体験をされて、人間不信になってしまったのでは?

それよりも、大変な時に私を信じてくれた人たちが財産として残りました。助けてくれた方たちには本当に感謝しかありません。会社経営が順調に進んだ時はいとも簡単に巨額のお金を稼ぐことができて、それが一夜にして消えてしまった。その体験を通して私は、お金に対する執着がなくなりました。今は、アフリカの子どもたちの支援をするためにお金を使いたいと思っています。

裏切られたことに固執して、人を嫌いになることこそ私にとって「負け」なんです。偶然、香港で持ち逃げしたビジネスパートナーに道でばったり会いましたけど、別につかまえてどうこうということもしなかった。

服作りに嫌気がさした時、裸族の村へ。子どもたちとの出会いでライフワークが決まった

どうしてアフリカの支援を、というストーリーに結びついたのでしょう?

一度、洋服が嫌になってしまったことがあったんです。日本のお客さまの求めるクオリティがあまりにも高すぎて、もめてしまった時に「こんな思いをして洋服を作るのは。もう嫌だ」って。その時、たまたまドイツの写真家が撮ったパプアニューギニアの裸族の写真を見て、「会いに行きたい」と思ったんです。

写真家の人に問い合わせたら、親切にその写真をどこで撮ったか教えてくれて、実際に行ってきました。現地のガイドさんが通訳してくれるので、言葉は大丈夫。2週間私も裸族と一緒に裸で生活しました。そこの子どもたちがいろんな話を聞きたがって、自分たちが土地を生涯出られないことも分かっているんですね。「この子たちに、世界を知るチャンスをあげたいな」と思いました。それが世界の子どもたちに病院や学校、孤児院をつくる支援をしたいと思ったきっかけです。

結局、裸族の人たちもボディペイントの形で装う習慣がありますから、「これもある意味、洋服だよな……また服作りをしよう」って、納得して村を後にしたんですけどね。
今は会社を中国の方に譲り、私は顧問という形になっています。HELP YOUで仕事をしながら、ライフワークのアフリカの支援に情熱を注いでいるところです。

リモートワークができるから、支援活動に全力で動くことができる。海外を巡る日々

HELP YOUの仕事をするようになったのは、どうしてですか?

一時期日本に拠点を移そうかと考えていました。その時にHELP YOUの仕事を知り、応募して昨年11月にジョインしました。今年の2月からはディレクターを務めています。

アジアやアフリカ、日本と各国を移動しながらリモートワークで仕事をされているのですね。実際にやってみて、HELP YOUの仕事はどうですか?

楽しいですね!テキストでのやり取りがメインですけど、業務を通して「人」が見えてきます。人とのつながりに温かさを感じますし、スタッフさんと信頼関係を築けるのがうれしいですね。思ったよりも、人が近く仕事をしている感じがします。

いろんな体験をされてきて、ネガティブな気持ちになることはないのですか?

私は自分の子どもを産めませんでしたが、こうしてアフリカの子どもたちと出会って力になることができる。それも、お金を返済して使えるようになった頃に出会えたので本当に良かったと思います。
ビジネスもプラスに転じるところまで持ち直しましたし、すべてが良い結果に結びついたんですよね。

自分の短所、おおざっぱで無計画なところは嫌いですけどそれを今から直そうとは思いません。アラフィフなのでもういいかな、と。年輪も自分の性格と思って受け入れます。年輪を削ったところで、本質は変わりませんから。

まとめ

香港で立ち上げたアパレル会社が好調であったところに、ビジネスパートナーの裏切りから大変な苦労をされた田崎さん。それでも決してくさることなく、自分を信じて助けてくれる人たちに感謝して、前向きに考えるポジティブさは素晴らしいと思いました。
HELP YOUでの仕事にも人間らしいあたたかみを感じ、楽しみながら働くことができているようです。これからもライフワークである子どもたちの支援に全力投球して、輝き続けてほしいと思います