大手銀行を辞めて30歳でワーホリへ――「安定」を手放して掴んだ、自分らしい働き方 くらしと仕事

大手銀行を辞めて30歳でワーホリへ――「安定」を手放して掴んだ、自分らしい働き方

大学3年生の就職活動では、自分らしさよりも安定した業界や職種かどうかを重視して仕事を選んでいました。
大手銀行の社員として働いた後に異業種へ転職し、30歳でワーキングホリデーに挑戦。社会人生活を送るなかで、自分自身のやりたいことと向き合い、自分らしい働き方を模索してきた私のストーリーと、これからの展望についてお伝えします。

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ライター

sugari
高校時代までを出身の茨城県で過ごす。大学から約10年東京暮らし。
金融機関から異業種への転職を複数経験後、現在はオーストラリアでワーキングホリデー中。
ローカルの飲食店で働きながら、スキルアップや成長の機会を求めてHELP YOUにジョイン。→執筆記事一覧

失敗を恐れて選んだキャリアの行方

大学3年生の就活開始当初は選択肢を狭めず、積極的にさまざまな業界の説明会に参加していました。
小学生のころから英語が好きで、大学で英文科、短期留学に行った経験も影響し、初めは漠然と英語を使う仕事や海外と関わる仕事に興味を持ちました。
バリバリ働くことに憧れていたにも関わらず、実際にそのような働き方をしている親戚から、総合職ならではの苦労話を聞いて「私にはできそうもないな」と挑戦する前から諦めてしまいました。

周りが業界や企業を絞り始めるにつれ、だんだんと焦りを感じるように……。
就活半ばで一社も内定が無い状況も重なって、不安も徐々に大きくなりました。
周りと違った仕事に挑戦して、働き始めてからやっぱり違うと後悔したら……社会人1年目の会社選びを失敗してしまったら……という恐れが強かったです。

悩んだ結果、友人や身近な先輩の影響もあり、金融業界に絞って選考を受けることを決めました。
金融業界は、企業の安定性や福利厚生の豊富さなど、入社前から働きやすいイメージがありました。女性が多く働く環境である安心感があり、仕事とプライベートのバランスが取りやすいと感じたのです。
ネームバリューがあって、離れて暮らす両親に安心してもらえることも判断基準の一つでした。

当時を振り返ると、失敗を恐れるあまり、自分の願望に素直に従って、できるかどうかわからないことに挑戦する自信がなかったのだと思います。一方で、身近な人が働いている職種や女性が多い職場なら、安心して働ける気がしました。
就活の終盤には、「女性が多く働く安定した企業で、プライベートに支障なく働くこと」が自分の中で充実した生活につながるという結論にいたりました。
そして最終的に就職したのが、転勤がなく残業も比較的少ないとされる大手銀行の一般職です。

このままでいい? 先輩の異動で見えたキャリアの分岐点

入行後は、コンプライアンス関連の部署で、金融犯罪に関わる取引の調査を担当しました。
銀行業務といえば、支店や支社での窓口業務を想像していた私にとっては、予想外の配属です。
社会人の基礎から専門知識まで手厚く教育を受け、2年目以降は、新任者のOJT担当やチームの計数管理など、責任のある業務も任されました。

ところが業務に慣れてきたころ、頼りにしていた先輩方の異動が相次ぎ、それが自分のキャリアを見直すきっかけになりました。彼女たちの異動先は同じ領域の部署ばかりでした。「私はこのままずっと今のような業務を担当し続けていきたいのだろうか? もっと別のことに挑戦したいと思ったときに、新しいキャリアの道が開けるだろうか? 自分のキャリアの選択肢が狭まるのでは?」という不安を抱くようになったのです。

身近にロールモデルとなる女性がいなかったこともあり、中長期的なキャリアの展望が見えず悩みました。

安定志向からの脱却とワーホリへの挑戦

空港では「MELBOURNE」の文字がお出迎え

銀行でのキャリアに悩む一方で、当時よく友人と「もう一度大学生に戻れるなら、長期で海外に行きたい」と話していました。
もう一度大学に行くことは叶わずとも、長期で海外に行くことはできます。社会人3年目に初めての1人海外旅行で訪れたオーストラリアに惚れ込み、「ワーキングホリデーで必ず戻ってこよう」と決意しました。
そして、入行して5年目、ついに「安定志向」を手放し、ワーホリに行くために退職を決断したのです。しかし、退職して程なくコロナ禍になり、渡航はすぐには実現しませんでした。

そこで転職活動を開始。コロナ禍では、リモートワークなど出社しない働き方が浸透し、私自身も場所を選ばない働き方に魅力を感じるようになりました。
銀行での経験から、大企業に入ってもキャリアの選択肢が広がるわけではないと気づき、次は自分が学べば学ぶほど挑戦できる業務の幅が広がるような仕事に就きたいと考えました。
そして、場所を問わず働くことも可能なITエンジニアに、未経験ながらも転職したのです。

新しい業界の仕事は簡単ではありませんでしたが、一つ一つ経験を積むことで、新しい業務や現場を任せてもらえるようになりました。エンジニアの業務を通して、自分が自身の可能性を潰さなければ、新しい挑戦ができるし、その挑戦が自分をさらに成長させることを学びました。

エンジニアとして働き始めて1年が過ぎ、仕事が少しずつ軌道に乗ってきた頃です。30歳という年齢の節目が迫っていました。日本人がオーストラリアへワーキングホリデーで渡航するには、31歳以下であることが条件とされています。

エンジニアの仕事を辞めることへの不安、周りは結婚や出産とライフステージが変わる中で、自分の選択に迷いもありました。しかし、今回挑戦する機会を逃したら、行きたかったオーストラリアのワーキングホリデーは叶いません。「ここで挑戦しなければ確実に後悔する。これが自分らしい選択だ」と考えた末に退職・渡航を決意しました。

履歴書100件からのスタート。英語環境で働くまでの奮闘

オーストラリアで初めてのラテアートレッスン。現地で基本的なスキルを学びました!

2024年、日本を出発し、オーストラリアでのワーホリ生活をスタートしました。現地には友人も頼る人もおらず、不安と期待が入り混じりながら日々を過ごしていました。海外で初めての仕事探しや家探しはどれも新鮮でしたが、特に印象的だったのは、カフェやレストランでの仕事探しです。営業経験がない中で、1店舗ずつ飛び込みで履歴書を渡す日々が続きました。最初は緊張で店の前を素通りしてしまうほどでしたが、繰り返すうちに少しずつ慣れ、「人は必要に迫られると行動できる」と実感しました。

当初は100件近く応募し、ようやく1件の仕事を得られるような状況で、仕事探しには苦戦しました。しかし諦めずに行動を続け、11ヶ月経った今は、目標にしていた100%英語環境で、バリスタやレストランスタッフとして働くことができています。

ネイティブとのコミュニケーションにつまずくこともまだまだありますが、今の自分が「できるかどうか」ではなく、「やってみたいかどうか」で判断し行動する。自分で限界を決めないことの大切さを学びました。

自由と挑戦を両立できる環境を求めて

オーストラリアでの1枚 くらしと仕事

オーストラリアでのワーキングホリデー生活も残り1年ほど。少しずつ帰国後の人生も考えるようになりました。
「現地での経験も積みながら、挑戦できる環境はないだろうか?」

そんな中、以前友人とした会話で、「海外にいる方も多く活躍されている会社がある」とおすすめされたことを思い出しました。それが「HELP YOU」です。
500名以上のフリーランスがフルリモートで仕事をしており、プロフェッショナルとしての自律性を持って働くことができる部分にとても魅力を感じました。
また、国外にいる私にとって、時間や場所に縛られず、自分のペースで働ける環境はまさに理想的です。

HELP YOUは、「自由」と「挑戦」が両立できる場所だと感じます。フルリモートで働く時間が自由というだけでなく、自分からやりたい仕事に応募できるので、業務内容も自分で選べます。また、自身が持つスキルを活かした業務だけでなく、未経験の業務でも意欲次第でチャレンジできる風土があります。
これまでの経験を通して、「やってみたい」という気持ちを一つの原動力にして働くことが自分らしさだと思っています。このような環境で、自分が得意とすることだけでなく、これから伸ばしたいスキルを見極めながら、理想の働き方に近づいていきたいと思っています。

まとめ

就活のときは「安定が一番」と思って銀行に就職したものの、働くうちに「このままでいいのかな?」と違和感を覚えるようになっていました。違和感に気づくことから、自分らしい選択が始まっていたように感じます。異業種へ転職し、30歳で思い切ってワーホリでオーストラリアへ渡航。初めての挑戦を数々乗り越え、自分自身の成長を感じるからこそ、「やってみたいかどうか」で行動する大切さを実感しています。HELP YOUで業務することも、自分らしい選択の一つです。これまでの経験だけにとどまらず、やってみたいことにどんどん挑戦しながらお客様やチームのメンバーに貢献していきたいと思います。

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