
夫の扶養から外れるまで──個人事業主・3歳児母の場合
夫の扶養から抜けたい──その思いの背景には、金銭的な理由もあれば、精神的な理由もあるかもしれません。専業主婦やパートの兼業主婦として家庭を支える方々は「お金」だけでは計れない大きな役割を担う存在でありながら、ときに肩身が狭いという声があるのも事実です。
ではフルタイムの正社員になって働けばいいという意見が聞こえてきそうですが、幼い子どもや転勤族の夫、高齢の親がいれば、そう簡単ではありません。
筆者自身は、地方で暮らしながら3歳児を育てる在宅フリーランス。妊娠する半年ほど前から夫の扶養に入っていましたが、子どもの保育園入園を機に仕事を増やし、扶養から外れることに。完全在宅ワークでも、まとまった収入を得られるようになるまでの道のりをご紹介します。
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目次
ライター
結婚を機に地方移住、憧れの「通勤なし」生活へ
東京都のIT企業でマーケティング職として働いていた私が、個人事業主になったのは2020年12月。結婚という人生の転機を迎え、夫の活動拠点である飛騨地方へ移り住んだことがきっかけでした。
在職中、マーケティング施策の一環としてブログメディアの立ち上げ・運用を主導した経験から「ライティングや編集の分野でもっと自分の可能性を広げたい」という思いが芽生えたのも、ちょうどその時期。加えて、朝起きて出勤することが苦で仕方ない私は、もともと自由な働き方に憧れていたこともあり、自然と在宅フリーランスの道を選びました。
あえて扶養の範囲で働く選択──自宅保育の3年間

息子と出会ってから、写真を撮るのが大好きになりました。
冒頭の通り、個人事業主となってから数年は、夫の扶養の範囲内で働いていました。(具体的な仕事内容は後述の「扶養から外れフリーで稼ぐカギは、交渉と提案」で紹介します。)最初の頃は「稼ぎ方」がよくわからなかったこともありますが、稼ぐ感覚をつかんでからも扶養を出なかった一番の理由は、息子の存在です。
とにかく可愛くて、離れがたい──その一心から3歳まで自宅保育を続けました。ちなみに出産前後で休んだのは2か月ほど。復帰後は、仕事をセーブしながらも在宅ワークを続けていました。そうできる環境に恵まれていたことには心から感謝しています。
▼ 自宅保育の3年間についてつづった記事
夫と私は「フェア」じゃない?扶養される葛藤
一方で、夫に扶養されている状態に何の感情も抱かなかったかというと、そうではありません。もっとも、最初の頃はフラットな感情でした。というのも夫と私は学生結婚で、夫が大学院生の頃に社会人だった私が彼を扶養していた時期もあったからです。
つまるところ「お互いさま」。けれど、扶養される期間が長くなるにつれ「フェアでいられない」という感覚に襲われました。私にとって「フェア」であることは大切な価値観で、要は等価交換です。(某国民的漫画を読んだ方ならピンとくるかもしれません。)夫の稼ぎや家事育児の負担に比べて、自分の貢献が釣り合っていない──そう感じた時期がありました。
例えば、これが私の母なら等価交換は成立していたでしょう。母の家事育児のレベルは圧倒的で、私が「やらなきゃ」と立ち上がる頃には全てが完了している。先回りして行き届かせる力は、一朝一夕で身につくものではありません。
もちろん、産後のダメージを抱え、授乳期の寝不足のなか家事育児をこなすことの大変さを矮小化するつもりはありません。体力が落ちている時期にベテラン主婦と自分を比べること自体、おかしな話です。
そもそも「病めるときも健やかなるときも支え合う」と誓った夫婦間で「フェア」だの何だのというのはナンセンスなのかもしれません。母からも「夫婦ってそういうものじゃない」と言われました。
しかし、頭では理解できても性格はすぐには変えられません。「なんとなくフェアじゃない」という感覚は、長らく私のなかに居座り続けていたのです。
世帯として損か得か?半端なラインを越える決意

地元には有名どころから穴場まで、お花見を楽しめる公園があり、この季節になると私のカメラ熱がぐんと上がります。
こうした思いもあって、息子が3歳で保育園に入園したのを機に私は仕事を増やし、夫の社会保険上の扶養から外れることに。役所で国民健康保険・国民年金への切り替え手続きをした時は、なんとも晴れやかな気持ちでした。
扶養から外れるにあたっては、悩みも多くありました。所得がいくらを超える見通しが立ったタイミングで外れるのがベストなのか──。
よく耳にする「103万円の壁(※1)」は給与所得を前提とした目安であり、個人事業主の場合は事情が異なります。単純に入ってくるお金が103万円を超えたら外れればよい、という話ではないのです。
さらに厄介なのが、税法上の扶養と社会保険上の扶養では基準が異なる点です。お金の話が得意でない私にとって、これはとても悩ましいポイントでした。
中途半端な稼ぎで扶養から外れてしまうと、世帯全体としては損になる可能性もあります。だからこそタイミングの見極めが重要なのですが、春から数か月の売上が好調だったことも大きな自信となり、最終的には「半端なラインを越えればいい!そこを目指す、できる」と腹をくくって扶養から外れることを決めました。
私からはお金のアレコレについて詳しいことはお伝えできませんが、実際に扶養を外れることを検討する際には欠かせない知識です。参考までに、会計事務所に勤めていたライター仲間がまとめた記事を紹介しておきます。
扶養から外れフリーで稼ぐカギは、交渉と提案
では、完全在宅ワークのフリーランスで子育て中の私が、どのようにして扶養から外れて本格的に稼ごうと思える程度の収入を得られるようになったのか。「フリーランス」とWebで検索すると「やめとけ」といったネガティブな言葉が並ぶほど、稼ぐのが難しいイメージを持つ方もいるかもしれません。
前述の通り、私も最初はどう稼げばいいのかわからず、戸惑いました。
実績を積み、単価交渉の材料をつくる
しかし、フリーランスを続けるうちに身についてきたのは「交渉の姿勢」です。低い単価のまま仕事を続けていては、なかなかまとまった収入にはつながりません。
私の場合、息子は保育園に入園しましたが保育短時間を選んだため、タイムリミットは15時。限られた時間で稼ぐには、コストパフォーマンスは命です。

保育園帰り、公園で遊ぶこともしばしば。保育園で散々遊んだはずなのに、どこに体力が残っているのか不思議なほどです。
当然ながら、ただ自分に高い値を付けるだけでは案件は獲得できません。交渉には根拠となる「材料」が不可欠です。
「材料」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり「実績」ではないでしょうか。
私は前職でメディア運営の経験はありましたが、そこで扱うテーマは限定的。本格的にライターとして幅広いジャンルを扱った経験は少なく、フリーランスになった2020年当時は、決して豊富な実績があるとはいえない状況でした。
そんな私に実績を積む場をくれたのが、オンラインアウトソーシング(※2)「HELP YOU」です。ジョインしてすぐ、HELP YOUのメディア「くらしと仕事」でライターが募集され、もともと読者だった私は迷わず手を挙げました。
※2 オンラインアウトソーシングとは在宅でインターネットを活用し、業務サポートを行うサービス。ライティングのほか、秘書や経理、営業事務など、幅広い案件を扱っている。詳しくはHELP YOUの求人サイトを参照。
しばらくして、今度はアクセス解析(※3)の担当者が「くらしと仕事」編集部で募集されました。マーケター時代にGoogle Analytics(※4)を使ったメディア分析や、BtoCアプリのグロースハック(※5)を担当していた私は、ここでも勢いよく挙手。
正直、当時は自信満々というわけではありませんでした。しかし、あるメンバーから「三代さんって文章が書けるうえに数字にも強くてすごい!」と声をかけてもらい、単純な私はその気になってより深く、次の企画につながる分析に取り組むようになったのです。自身の可能性に気付かせてくれたそのメンバーには今でも感謝しています。
※4 Google社が提供するアクセス解析ツール。
※5 グロースハックとは、アプリやWebサイトの成長を目的にデータ分析と施策を繰り返しながら改善していく取り組みのこと。
豊富なライティング実績でつかんだ次のチャンス
さらに新たなチャンスが訪れたのは、フリーランスになって約2年半が経った2023年の春先。息子が1歳になり、子育てにも少しずつ慣れてきた時期です。飛騨地域の広報誌でインタビューライターを探していると聞き、地元の知人や夫が私を紹介してくれました。
その頃には「くらしと仕事」でインタビュー記事を手がけた実績が多数。いずれも記名記事のため実績を示すことができ、自信を持って交渉の場に臨めたのです。結果、フリーランスライターとなった当初の20倍の原稿料で仕事を受注することができました。
今では、広報誌でのインタビューを通じて飛騨地域の魅力に触れ、地元をもっと好きになりました。そうした意味で、お金以上の価値も同時に得ることができています。
▼ 私に「稼ぎ方」を教えてくれた先輩ライターを取り上げた記事
顧客に寄り添った「提案」でチャンスを増やす
もう一つ、交渉と並んで大切にしているのが「提案」です。
同年の秋には、HELP YOUのクライアントの代表インタビューを担当することに。もともとはプレスリリース作成でアサインされた案件でしたが、取材を進めるうちに「お客様の強い思いはプレスリリースだけでは伝えきれない」「削った情報を世に出さないのは惜しい」と感じるようになりました。
そこで別途メディアプラットフォーム「note」での記事化を提案したところ、ありがたいことに受け入れていただき、その後も継続的なお付き合いがあります。これは、案件全体を取り仕切るディレクターやチームの先輩方が築いてきた信頼関係があったからこそ得られた機会です。
▼ 私が編集を担当したnoteの中でも200スキを超えた人気記事
かたちだけで終わらせない。創業64年の工務店が実践する企業ブランディング
以下に、お客様の声をご紹介します。
最初は、PR TIMESで配信するプレスリリースの原稿を依頼したのがきっかけです。自社の取り組みを社外に発信したいと思い、初めてPR TIMESを利用することになり、自社でのノウハウがなかったのでお願いしました。
納品されたプレスリリースの内容が良かったので、継続的に依頼しています。
最近では、社外へ発信したい内容が増え、プレスリリースには書ききれないものも出てきました。そこで、「この内容は、noteで詳しく紹介したら、ブランディング戦略としても良いのでは?」とHELP YOUからご提案いただき、今はnoteの執筆に比重を置いてもらっています。
引用:HELP YOU BLOG 導入企業インタビュー「地方でも人手不足とは無縁!老舗工務店のアウトソーシング活用術」2025年10月閲覧
「くらしと仕事」編集部でも、アクセス解析をもとにした提案を繰り返すうちに、ライターとしてだけでなく編集者やライターの育成担当として関わる割合が増え、あるタイミングを境に時間単価は1.5倍になりました。当事者意識を持ってアイデアを出し、メディアの数字を追う姿勢は、信頼関係の構築にきっとつながるはずです。そしてアイデアが成果へと結び付けば、それが単価交渉の一つの材料になり得ます。
もちろん予算の制約があるなかで、交渉が思うように進まないこともゼロではありません。お客様のご予算にそぐわない提案を押し売りするのは決して「フェア」ではないでしょう。
それでも大切なのは「交渉に値するだけの働きをしている」「これからさらにできる」と自分で納得できるほどに実績を積み重ね、同時にお客様に真摯に向き合い続けることだと考えています。
私は、多くのお客様と広く関わるよりも、特定のお客様と長く深い関係を築いていきたいと思っています。お付き合いが長くなればなるほど、お客様の考えに触れる機会が増え、その分より的確で価値ある提案ができると信じているからです。
そして振り返れば、扶養から外れたこともまさにその延長線上にありました。扶養を出ることを計画的・戦略的に目指していたわけではなく、一つひとつの仕事に向き合ううちに自然と交渉の機会が巡ってきて、それが結果につながった──そんな流れだったのかもしれません。
その背景には、恵まれた環境やご縁を下さったお客様、共に励まし合える仲間の存在がありました。そうした支えがあったからこそ、一歩一歩を積み重ねることができたのだと感じています。

Special Thanks:夫。
まとめ
夫婦間で「フェア」を目指す必要もありません。むしろ「完璧にフェアな状態」をつくるのは不可能に近いと最近では思うようになりました。
ただし、もし「現状を変えたい」という気持ちが芽生えたなら、焦らず小さな実績を積み重ねていくのも一つの方法です。お客様に丁寧に向き合い、最適な提案を続けるなかで、自然と良いご縁やチャンスに巡り会えるはずです。
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