夫の海外赴任、仕事はどうする?フルリモートワークの選択肢 くらしと仕事

夫の海外赴任、仕事はどうする?フルリモートワークの選択肢

皆様はこれまでに生活が一変するような出来事はありましたか?

私はつい最近まで英語ができない、ごく普通の会社員でしたが、夫の海外赴任で急きょアメリカへ移り住み、いわゆる”海外妻”となりました。

夫の勤務先は今後も変わる可能性があり、その都度選択を迫られることになるかと思いますが、迷いながらもフルリモートワークという形で、新たなキャリアの一歩を踏み出した私の経験をご紹介します。

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ライター

一木優美
埼玉出身。大学卒業後、会社員をしていたものの退職。現在はアメリカに暮らす海外妻。HELP YOUのビジョンである「未来を自分で選択できる社会をつくる」に共感する駆け出しのライターとして日々模索中。→執筆記事一覧

日米間の時差がネックでやむを得ず退職

「やっぱり時差があるから難しいね、残念だけど退職になっちゃうかな」。

夫の海外赴任でアメリカへ行くことになり、フルリモートで今の仕事を続けられないか会社に相談したものの、折り合いがつかず上司から退職を言い渡されました。

結果、私の会社員人生はいったん終わりを迎えることとなったのです。

多忙なSE生活から脱却、結婚を機に事務職へ

「会社員人生」といっても、輝かしいバリキャリライフではありませんでした。

大学を卒業後、会社員としてシステムの仕事に携わること約10年。主に、社内SEやサーバーの構築・管理、ユーザー対応をしていました。

近年では、企業の社内システムにクラウドが導入されているケースも多いかと思いますが、当時は社内でほぼ全ての物理サーバーを持ち、管理をしていることが一般的でした。

今に比べてサーバー自体の障害も多く、過去には、春雨ヌードルを食べようとお湯を入れた矢先に突然の障害対応で呼び出しがかかり、戻ってきた頃には春雨ヌードルが全てお湯を吸っていたことも……。

仕事に打ち込むあまり、結果的に多くの時間を費やしていたため、次第にワークライフバランスを見直したいと思うようになりました。そのため、結婚を機に自宅近くの会社に転職。

渡米前までその会社で事務の仕事をしていました。職場は家から近く、コロナ禍以降はオンラインへ。通勤時間が大幅に減った上に、元々時間の融通が利く会社で働きやすかったため、このままここで働くのだろうなあ……とぼんやり考えていました。

なんでアメリカ?不安を抱え新天地へ

国内営業をしていた夫は、結婚後に海外営業となり、主に韓国や東南アジアを担当していました。

1回の出張期間は1週間ほどでしたが、それが年に何回もあり、トータルすると多いときで1年の3分の1を海外で過ごすことも。当時、とても忙しそうだったのを覚えています。

そんな夫にある日、ついに海外赴任の打診がきました。場所は担当だった東南アジア。

引っ越しの日が近付くにつれて高まるウキウキ感。ところが、直前でコロナ禍が到来し、海外赴任待ちの状態が続きました。

しばらくして社会も落ち着きを取り戻し、ようやく東南アジアへ引っ越しかと思いきや、予想だにしなかった出来事が起こりました。なぜか、赴任先がアメリカに変更されたのです。

「アメリカ??」「本当に??」

夫も私もアメリカに行ったことすらなく、知識も縁も全くない私たちはその話に半信半疑でしたが、ほどなくして正式に海外赴任が決まり、夫は先にアメリカへ旅立ちました。

日本に残された私も、引っ越しに向けて着々と準備。私にとって、海外引っ越しというSランク級の一大イベントは、かなり大変でした。

アメリカへ同行することについては、不安がなかったといったら嘘になります。そもそも海外に行く人はその家族も含めて、英語が堪能で海外事情に精通している人という先入観があったからです。

私のスピーキング能力は大学受験がピークで、それ以降は英語を話す機会すらありません。

車社会のアメリカで、安定したゴールドペーパードライバーの私がどのように生活するのかも未知数。そして、仕事についても当然未知数でした。

せめて仕事だけでも続けられたらと思い、会社に相談してみましたが、結果は冒頭で述べた通りです。上司は数回のミーティングを通じて検討はしてくれましたが、最終的には退職することになりました。

生き生きと働く高齢者を見て価値観が一変

しばらくして、アメリカでの生活をスタートさせました。

アメリカに来てまず驚いたのは、土地や建物を筆頭に全てが「BIG!!!」ということ。噂には聞いていたものの、日本のサイズ感に慣れ親しんだ私にとっては驚き以外の何者でもありませんでした。

道路は片側2車線、3車線が当たり前。土地の広さや、建物の大きさはもちろんのこと、飲食の量も半端ではありません。スーパーでは、日本の業務スーパー顔負けの大きな牛乳が陳列され、レストランでは、とても食べきれない量のステーキやポテトが出てきました。

私が感じたカルチャーギャップはそれだけではありません。「モノ」だけではなく「ヒト」にも傾向があり、私の住んでいる街の特性なのか、人種にかかわらずハートフルでおおらかな人が多いように思えました。

なかでも私の目に留まったのは、スーパーのレジや事務窓口などで生き生きと働く高齢者です。日本では定年を過ぎているような年齢の方も、アメリカでは当たり前のように働いています。日本にも定年後に再雇用する企業はありますが、アメリカではそれがより一般化されているように感じました。

その背景には、アメリカの物価や医療事情があるのだと思います。アメリカでは物価が日本よりも高いため、生活をするだけでとてもお金がかかります。その上、国民の大半は公的医療保険制度の適用対象外のため、毎年病気により、やむを得ず自己破産する人が多いとのことです(※)
※ 参考:独立行政法人日本貿易振興機構「調査レポート – 米国における医療保険制度の概要(2021年6月)」閲覧日:2023年8月1日

「生活苦のために仕方なく働いているのでは?」と思う人もいるかもしれません。しかし、私が日常で触れる「働く高齢者」に悲壮感はなく、むしろ「働くことが当たり前」「楽しく働いて当たり前」のような印象を受けました。

一方で、生活のために働きづめといったら決してそうではなく、週末には家族との食事を楽しんだり、バカンスを楽しんだりとワークライフバランスのとれた生活を送っているようです。

ミレニアム・パークのシンボル、ジャウメ・プレンサの『クラウン・ファウンテン』
色々な人種の顔が映し出されています。

海外にいながら日本語で働く選択肢

そのような生き生きと働くアメリカの人の姿に感化され、仕事を探し始めました。

また、会社員時代は、平日の決まった時間に働く生活を送っていたことから、仕事を辞めて何をしていいかわからない寂しさを感じていたことも仕事を探す理由の一つでした。

言葉の壁を感じていたため、初めは、アメリカ現地に店舗を展開する日系企業を中心に求人を探してみました。

しかし、日系企業とはいえ、従業員の多くはアメリカ人で占められているのが現実。「海外にいながら、日本語で働けないだろうか?でも、そんな理想的な環境があるのか……?」と半信半疑で仕事を探していたところ、フルリモートワークを実践するHELP YOUにたどり着きました。

その後HELP YOUに応募し、晴れて2023年にジョイン!

HELP YOUにジョイン後、なんと今まで興味はあったものの二の足を踏んでいた執筆活動に挑戦できることに。この記事はその挑戦の第一歩です。

海外生活は綺麗なことばかりではなく大変なこともありますが、結果的にはアメリカへ来ることを選んで良かったと思います。とはいえ、海外生活にも仕事にもまだまだ不慣れで、この試み自体始まったばかりではありますが、この経験を糧にできるように、今を精一杯過ごしていきます。

まとめ

人生、さまざまなことが起こります。私は、家族の仕事の関係で突然海外に移ることになりました。そして今後もライフスタイルが大きく変わる可能性があります。

特に海外では、日本との時差の関係で働きにくいことも多いと思います。しかし、「フルリモートで働く」という選択肢が増えることで、仕事を諦めなくてもよくなるのではないでしょうか。

フルリモートワークという働き方も視野に入れ、楽しく、自分らしい未来を手に入れていただければと思います。

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