
出身地はどこ? 帰国子女だった私が、リモートワークで見つけた「居場所」
幼い頃から「出身地はどこ?」と聞かれるたびに、どう答えればいいのか迷っていました。生まれてから12年間、海外を転々とし、ようやく東京都に落ち着いた私にとって、自分の出身地をひと言で表すことが難しく感じていたからです。
時を経て、チェコ人との結婚を機に再び海外へ。現地の言葉を話せず仕事探しに苦戦していた私が出会ったのが、オンラインアウトソーシング(※)「HELP YOU」でした。世界中のメンバーとオンラインでつながる日々を通じて、私の「出身地」や「居場所」への考え方は、少しずつ変わっていきました。
▶︎ 海外在住スタッフも活躍するHELP YOUはこちら
目次
ライター
環境が常に変わり続ける子ども時代
父の海外赴任に伴い幼少期から複数の国で引っ越しを繰り返した私は、常に変化と別れに直面し、不安と孤独を抱えながら育ちました。12歳で初めて日本に住むことになったものの、文化や学習面で大きなギャップに戸惑い、自分のアイデンティティに悩む日々を送ることになります。
父の海外転勤と度重なる引っ越し
私は父の海外赴任中にイギリスで生まれましたが、そこに長くとどまることはなく、1歳の時にシンガポールへ引っ越しました。シンガポールでは7年間過ごしましたが、その間に2度の引っ越しを経験し、親しくなった友人たちと別れる寂しさを何度も味わいました。
その後、香港への転居が決まったものの住まいがなかなか見つからず、到着後の1ヶ月間はホテル暮らしを余儀なくされました。ホテルでは当然近所付き合いもなく、同年代の子どもと遊ぶ機会もほとんどなかったため、孤独を感じることが多かったです。ようやく見つかった家も仮住まいに過ぎず、再び引っ越しを経てようやく落ち着くことができました。
この時点ですでに人生で6回の引っ越しを経験していたため、どこに住んでいても「いつかまた引っ越すかもしれない」という不安が常につきまとっていました。
初めての日本暮らしで抱いた疎外感
12歳になる年、日本へ帰国することが決まりました。両親にとっては馴染みのある故郷でも、私にとっては未知の世界。学校の下駄箱で靴を履き替えること、給食を自分で配膳すること、教室を雑巾がけすること――どれも初めての経験で、毎日がカルチャーショックの連続でした。
中でも一番苦労したのは、漢字の書き取り。それまであまり使う機会がなかったため、初めての漢字テストでは0点を取り、強烈な劣等感を覚えました。「日本人」であるはずなのに、日本人らしさを持ち合わせていない自分は、一体何者なのか。答えの見つからないまま、戸惑いの日々を過ごしていました。
揺らぐアイデンティティを抱え、再び海外へ
日本での生活に慣れるにつれ、今度は別の焦りが生まれました。英語が以前のように話せなくなってきていることに気付いたのです。日本語に不慣れでも、日本の文化をよく知らなくても、「帰国子女だから仕方がない」と言い訳できていたのに、もし英語すら話せなくなったら、自分のアイデンティティはどうなるのか――そんな不安が頭から離れませんでした。
慌てて英語の塾や英会話教室に通いましたが、日本での生活の中で英語を使う機会はほとんどなく、気付けば日本語のほうが自然に出てくるようになっていました。次第に、自分が「日本人」として馴染んでいくのを実感しながらも、自己紹介や重要な書類を書く際に出身地を「東京」と記すたび、どこか違和感を覚えていました。
チェコへの移住で直面した言葉の壁
夫から「チェコへ移住したい」と打ち明けられたとき、迷うことなく「行く」と答えました。日本を離れることに、まったく抵抗がなかったからです。チェコ語が話せないことへの不安はありましたが、それ以上に、新しい土地で始まる生活への期待が勝っていました。仕事も「現地で何かしら見つかるだろう」と楽観的に考えていました。
しかし、実際に探してみるとチェコ語が必須の仕事ばかりで、英語だけで働ける職場があっても通勤が難しく、なかなか自分に合う仕事が見つかりませんでした。さらに、住んでいる地域には外国人がほとんどおらず、チェコ語も思うように話せないため、日常生活ですら孤独を感じることが多かったです。最初の1年は、自分の無力さを痛感し、思い描いていた「新しい生活」とのギャップに落ち込むこともありました。
大人になって見つけた、オンラインで築く「居場所」
それでも、2年ほど経つと徐々に知り合いが増え、日本人の移住者ともつながることができ、生活は落ち着いていきました。しかし、相変わらず仕事は見つからず、焦りを感じる日々が続いていました。
そこで、チェコ現地の企業で就職するのではなく、海外にいながらリモートワークで働ける日本企業の求人を探すように。ただ、当時はリモートワークといえばIT系エンジニアや特殊なスキルを持つ人に限られた働き方だと思い込んでいたため、あまり期待はしていませんでした。
だから、HELP YOUの採用サイトで事務職でもリモートワークができると知ったときは、まさに目からウロコ。しかも、海外在住のスタッフも多く、時差があっても働ける環境が整っていることに大きな魅力を感じました。ちょうどその頃チェコに家を建てる計画が進んでおり、少しでも収入を増やそうと思い、迷わず応募を決意しました。
海外移住を機に変化した「居場所」への考え方
仕事が見つかったことで、「チェコで生きていくんだ」という覚悟が、より一層強まりました。自分でも驚いたのは、日本に一時帰国した際に「早くチェコに帰りたいな」と思ったことです。気付けば、私にとっての「帰る場所」はチェコになっていて、その瞬間、自分の「居場所」がチェコにあるのだと実感したのです。
これまでずっと「自分の故郷はどこなのか」「私は何者なのか」と悩んできましたが、今では「自分が安心して帰ることができる場所こそが、居場所なのだ」と思えるようになりました。
また、働くことで社会とのつながりを感じ、自己肯定感を取り戻すことができたのです。オンライン上でのやり取りを通じて、日本にいた頃よりも多様な人々と関わる機会が増え、異なる価値観に触れることで、自分自身の視野が広がっていきました。
まとめ
リモートワークを通じて見つけた「自分の居場所」。それは、特定の国や場所ではなく、自分が心から安心して過ごせる環境そのものだったのだと、今では確信しています。
▶︎ 海外在住スタッフも活躍するHELP YOUはこちら
Link