海外移住を果たすも介護の毎日。単調な生活にサヨナラできたきっかけとは

海外移住を果たすも介護の毎日。単調な生活にサヨナラできたきっかけとは

決まった時間に決まったタスクをこなす、介護の日々。環境を変えれば、単調な生活に光が差すかもしれない。淡い期待を抱きながら海外へ移住したものの、現実には、日本にいた時とそう変わらない生活が続いた。

そんなある日、友人から勧められた一冊の本が、私の介護生活をガラリと変えた。在宅介護に行き詰まりを感じている人に向けて、私が単調な日々から抜け出した経緯を紹介したい。

ライター

藤原恵美
神奈川県横浜市出身。子育て一段落後、ジムインストラクターや自治体の事務等を約12年間勤務。その後、夫の夢であった海外移住のため退職し、夫と認知症の義父と一緒にタイへ移住。介護生活に悩む中、一冊の本と出会ったことでHELP YOUにジョイン。趣味はウィンドサーフィン。→執筆記事一覧

初海外が初移住。私がタイに来たワケ

「海外で生活をしたい」。夫の常日頃からの口癖であった。

毎日、決まった時間に起床し、職場に向かい仕事をする。そして、仕事が終われば自宅に戻る。そういう淡々とした何の変哲もない生活に飽きていたようだった。

一方の私は、夫がつまらないという”当たり前”の生活を当たり前に受け入れていた。会社員として勤める傍ら、認知症の義父を介護する日々。今日と同じ明日が続くと思い込んでいたし、海外移住についても「いつか」遠い未来のことだと話半分に聞いていた。

ところが、ある日夫がパスポートを取得してきた。そればかりか義母から譲り受けた自宅の売却を不動産屋に相談までしていたのだ。

どうやら夫にとって海外生活は「いつか」ではなく「今すぐ」実現したいことなのだと知り、正直私は驚いた。同時に、そんな彼の描く未来に対し、面白そうと感じる自分もいた。彼と一緒だったら海外で楽しく暮らせるかもしれないと直感的に思ったのだ。

コロナ禍で移住先を台湾からタイへ

当初、私たちが移住先に決めたのは「台湾」だった。台湾は、日本からそう遠く離れておらず、気候は暖かく親日国と聞いている。そして何よりもウィンドサーフィンができる。

私たちはコロナ禍の2020年頃よりウィンドサーフィンを始めたばかりだ。ウィンドサーフィンは風の力を利用して自分の行きたい方向に進むマリンスポーツである。風を全身で感じ、押し寄せる波に体を預ける爽快感は言葉にならない。

私たちにとってウィンドサーフィンができるかは移住先を決める重大な選択基準だった。

しかし、コロナの影響もあり渡航制限がなかなか解除されない。幾度となく台北駐日経済文化代表処(※1)に連絡を取り、VISA取得のための面談予約を申請しては渡航制限延長のためキャンセルをされるの繰り返しであった。

渡航が決まらない日々を過ごすこと半年、別の移住先を検討しようという話になった。
①日本からあまり遠くなく
②比較的温暖
③親日国
④ウィンドサーフィンができる
⑤渡航ができる
という5つの条件をクリアした国が見つかった。「タイ」である。

移住先が決まると、やるべきことはたくさんあった。海外経験も移住経験もない私にとって何もかもが初めてのことばかりだ。それでも、単調な日々を抜け出し新たな生活が待っていると思うと全く苦にならなかった。むしろ、目的のために夫と協力して1つずつタスクをクリアしていくことは達成感と喜びに満ち溢れていた

そして、移住先変更を決めてから半年も経たずに、私たちはタイに旅立った。これまで飛行機に乗った経験さえ2回しかなかった私が海外へ移住をしたと聞き、周囲が驚いたのは言うまでもない。

※1 「台北駐日経済文化代表処は、中華民国(台湾)の日本における 外交の窓口機関」(引用:台北駐日経済文化代表処公式サイト「 駐日代表処について – 組織と業務」2024年7月4日閲覧)

日本にいた頃と変わらない、介護の日々

介護用にしようしている貼り紙 くらしと仕事

左は食事の時間を知らせる貼り紙で、右は食事が終わったことを理解してもらう貼り紙

この移住には、認知症の義父も一緒だ。すでに義母は他界しており、義父を一人日本に残すわけにはいかない。

認知症といっても症状の現れ方は人によって異なる。義父はとにかく「」と「時間」に対してひと際執着があった。食事の時間の3時間ほど前からカウントダウンが始まる。

さらに、食べてもすぐ忘れてしまう。認知症に加え、脳の満腹中枢機能がきちんと働いていないことが原因だ。食後、早いと15分も経たずに「俺はご飯を食べたのか」と聞いてくる。ゆえに食前には「次のご飯は〇時です」、食後には「ご飯は食べました」という貼り紙がテーブルに置かれることになった。

決まった時間に食事を準備し、義父のお世話をする単調な毎日。日本と違ってショートステイのような介護システム(※2)もないため、夫婦でちょっと遠出といった楽しみもない。海外生活に期待したほどの楽しさはなく、移住前に抱いていたワクワク感は徐々にしぼんでいった。

※2 タイでは家のお手伝いさんのような形で人を雇い、介護も併せてお仕事として依頼することは可能。ただし、日本語が通じるお手伝いさんはあまりいない。

ウィンドサーフィン仲間との会話が息抜きに

タイのウィンドサーフィンショップで出会った仲間たち

そんな介護の合間に趣味のウィンドサーフィンを楽しむ。そのために渡航前から入念に調査し、海の近くにある街を新天地に選んだ。

といっても最初は全く楽しむことなんてできなかった。まずボードに乗ってセイル(帆)を持ち上げることができない。やっとセイルを立てて乗れたとしても波に煽られ海面に落ちる。行きたい方向に行くことができず流される。そんな楽しくない中でもタイで見つけたウィンドサーフィンショップのスタッフやオーナーたちは優しくサポートをしてくれた。

そして、ウィンドサーフィンを通して、少しずつ仲間が出来た。そんな彼らと毎週ビーチで会い、「今日の風はどう?」「新しいセイルだね」なんて会話をしながら、海に出ていく。

ウィンドサーフィンは奥が深いスポーツで、一つ目標を達成してもすぐに次なる目標が出てくる。それゆえに、それぞれが自分の目標に向かって練習を重ねていく。お互いに切磋琢磨して、上達していく。そんな素敵な関係の仲間が出来たのだ。

今となっては、持ち上げられなかったセイル(帆)も私を煽り続けた波もマイペンライ(問題ない)!! 風をつかみ、行きたい方向に進むことができる。海の上で風を感じながら走るのは最高である。

今では風をつかみ、行きたい方向に進むことができるようになった

ウィンドサーフィンで日本一周!?単調な日々を変えた一冊

単調な日々を変えた一冊の本「LONG STANDING AMTITION」出典:ジョノ・ダネット

そんな仲間の一人であるイギリス人男性が、ある本を私たち夫婦に貸してくれた。それはイギリス人ウィンドサーファー、Jonathan Dunnett (ジョナサン・ダネット、以下ジョノ)(※3)がイギリスをウィンドサーフィンで一周した経験談をまとめた本だった。

さらに、その仲間はある相談を持ち掛けてきた。内容は、ジョノが、ウィンドサーフィンで日本一周を考えているが、日本一周するにはどうしたらいいのかという話だった。

そもそもウィンドサーフィンで長距離を走るなんて聞いたことがなかった。

そこで、ジョノの活動に興味を持った私は、まず彼自身について調べた。彼は私と同世代であり、年齢的に体力も衰えてくる年代だった。しかし、常に心に「挑戦」という言葉を秘めている人だった。彼にとっての挑戦は「自分の島を知ること=ウィンドサーフィンで一周すること」であり、達成するとさらに大きな島へと挑戦が移っていく。そう、彼の「挑戦」には終わりがない。

私はジョノが常に「挑戦」する姿勢に惹かれ、応援したいという気持ちが湧いてきた。直接ジョノにコンタクトを取り、彼の熱量をさらに身近に感じ、自分の中での熱量も高まっていったのだ。

私はジョノの次なる挑戦である「ウィンドサーフィンで日本一周」をサポートするため、その方法についてインターネットで情報を漁った。しかし、過去にウィンドサーフィンで日本一周をした事例は一つも出てこなかった。

前人未到の挑戦に対して何から始めるべきか、どうしたらいいのか、全てが手探りの状態であった。

それでも、何かの糸口になるのならと、過去にウィンドサーフィン以外で日本一周をしたという団体や個人に連絡をした。そこで有益な情報を得ることができたケースもあったし、逆に挑戦を止めるように言われたこともあった。しかし、ジョノは諦めなかった。むしろそれを糧に「挑戦」する速度を上げていったのだ。

私はジョノの挑戦が円滑に進むようにと、ジョノを支援してくれそうな企業や団体に連絡をしたり、ジョノが長期間滞在できるVISAを調べたり、そして海岸線沿いの海上をウィンドサーフィンで走るジョノが円滑に走れるように海岸線にある公的機関等を地図上で調べたり、また漁業関係者にコンタクトを取ろうとした。

※3 Jono(Jonathan Dunnett)は、イギリス生まれの冒険家であり、作家であり、ウィンドサーファーである。彼は41歳の時にウィンドサーフィンでイギリスを一周し、また46歳の時にヨーロッパを一周した(ヨーロッパは一部海に面していないため自転車を併用する)。この挑戦は彼自身が作品として出版もしている。その彼が、2024年5月26日、ウィンドサーフィンで日本一周の挑戦を始める。(出典:Windsurf Japan「The Japan Plan…」2024年7月9日閲覧)

オンラインでの社会復帰で自分自身の挑戦をスタート

我が家から見える昼間の海と夕日。この景色を見ながらの仕事は楽しい

しかし、ジョノの挑戦はジョノ自身のモノである。そして、彼がその挑戦の中に持つこだわりもあり、私ができるサポートには限りがあった。それゆえ、日本にたどり着く前に「サポート」から「見守る」という体制へと変化していった。

その頃には、私の中に新たな感情が芽生えていた。「自分も何かに挑戦したい」と。

自分と同世代のジョノが高い壁に挑み続ける姿に触発され、誰かの夢や挑戦を支えることに終始するのではなく、自分自身の目標を持って人生を歩みたいと思うようになったのだ。

では、どんな挑戦が良いだろう。ジョノのサポートを通じて社会とつながった体験は、私の介護生活に彩りを与えてくれた。誰かの役に立つ喜びも知った。

真っ先に頭に浮かんだのが社会復帰をして外で働くことだったが、海外在住で介護生活を送る私にできることは限られている。もちろん、趣味の時間を確保することも欠かせない。

そんなワガママな自分の思いと向き合い、行きついたのがオンラインアウトソーシング(※4)「HELP YOU」だ。

※4 オンラインアウトソーシングとは在宅でインターネットを活用し、業務サポートを行うサービス。

挑戦のステージにHELP YOUを選んだ3つの理由

数あるオンラインアウトソーシングの中でも、なぜHELP YOUを選んだのかを最後に紹介したい。

  1. 海外生活&介護生活に適したフルリモートワーク
    HELP YOUでは、世界各国・全国各地にいる500人がフルリモートワークを実践している。
    その背景には「未来を自分で選択できる社会をつくる」というビジョンがあり、時間に縛られる介護生活のなかでも自分の人生を切り拓きたいという私の思いと合致していた。
  2. 手を挙げてどんどん挑戦できる環境
    700社以上の業務コンサルティング・業務サポートを行うHELP YOUでは、基本的に仕事は挙手と適性で決まる。自ら手を挙げてどんどん挑戦できる環境は、ジョノに触発されヤル気にみなぎっている自分にはピッタリだ。
  3. 社名の由来に感じた、ただならぬご縁
    さらに、HELP YOUの運営会社である「株式会社ニット」の社名の由来の一つである「みんながニッと笑顔になれるように」という言葉にシンパシーを感じた。というのも、日本にいた頃、ママさんバレーのチームを立ち上げる際に、ひらめいたチーム名が同じ発想から生まれていたのだ。

そう、ここは、各々のライフスタイルを大切にしながらキャリアアップしていける場で、そして何よりも「未来を自分自身で選択していく場所」である。単調な生活の中に自分を閉じ込めるのではなく、自らやりたいことに手を挙げて発揮していける場所であり、まさに「私が求める場所」であったのだ。

そして今、私は海が見える自宅より「明日の風はどうだろうか」「気持ちよく走れるかな」と風を感じながら、私が見つけたこの場所で働いている。

▶ 海外で介護生活を送る私が新たな挑戦をスタートしたHELP YOUはこちら

まとめ

「未来を決めるのは他でもない自分である」。その未来を活かすのも殺すのも自分次第。それなら、自分が後悔しない選択をしようではないか。私にとってHELP YOUは、自分の生活を崩すことなく、趣味を楽しみながら、今の自分、これからの成長していくであろう自分と向き合い、毎日学び成長し続けることができる場所だ。

そして、HELP YOUと出会うきっかけをくれたジョノは今、ウィンドサーフィンで日本一周する挑戦をスタートさせている。

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