自分の時間を生きることが私らしい生き方。バングラデシュでの学びが今の輝きに

大手企業に入社後、終身雇用崩壊の不安や働き過ぎからの体調不良に陥ってしまったという渡辺有香さん。現在は全社員がフルリモートで働く株式会社ニットの広報として活躍されていますが、そこに至るまでの苦難と乗り越え方、移住先のバングラデシュで得た価値観、現在の思いをお聞きしました。

ライター

鈴木せいら
札幌市出身。横浜国立大学大学院工学修士修了。2007年夏より、函館へ移住。制作会社でライティング・編集業務を行い、実用書・フリーペーパー等のコンテンツ制作を担当、2011年よりフリーランスに。現在、「HELP YOU」プロフェッショナルライター。理系の知識を活かしたサイエンスやアカデミー系の文章から暮らしにまつわるエッセイ、インタビューなど幅広く手がける。

新卒で入った大手メーカーで目の当たりにした壁。成長を求めて転職

ご出身は愛知だそうですね。就職するまではずっと地元にいたのですか?

そうです。大学卒業後、就職のために地元を離れました。新卒で入った会社は大手メーカー企業で、その時の私は「大手企業に入社できたから、将来は安泰だろう」と思っていたんです。私が入社したのは、世の中が3.11の震災ショックから少し落ち着きを取り戻しかけていたぐらいの時期で、景気が良いとは言えない社会情勢でした。入社した会社でも私たちが入ってすぐに、リストラが始まりました。これまでの終身雇用という「働き方」の価値観が大きく崩れていく衝撃がありましたね……。

新卒で働き始めたばかりで、社内のリストラを目の当たりにするのはショックですね。

リストラの対象になるか否かは、本人の努力や能力よりもどこの部署に属しているかに左右されてしまう、ある意味運しだいのところがありました。そういった状況を見聞きして、「ずっと働けるように、何かスキルを身に付けなければ」と怖くなったんです。

その会社にはどのぐらい勤めたのですか?

2年3カ月勤務しました。営業職でしたが、別に営業SEの人たちがいたので私の業務は事務処理が多かったですね。私の部署は8人のグループで、すぐ上の先輩というと30歳ぐらい。「新卒の社員が部署に来るのは久しぶりだよ」と言われて。ほとんどが40~50代の社員で構成されている、比較的業務にゆとりのあるグループでした。

転職を考えたきっかけは?

ゆとりのあるグループにいたので、とにかくこのままではいけないと思っていました。ですが、大手企業に入ったことで、親からも「転職なんてとんでもない」と反対されていました。1年目は将来への不安があっても我慢しようと思い、2年目の終わりごろから転職を意識するようになりました。とはいえ、一体何を軸にして仕事を探したらいいのかも分からない。とりあえず転職エージェントに登録しました。

その時は、どういう仕事を探していたのですか?

「手に職をつけたい」と、未経験でも応募できるエンジニア職を探していました。ところが、エージェントの人から「あなたは別にエンジニアになりたいわけではなくて、成長したいのですよね」と言われて。それでそのままエージェントに勧められたリクルートキャリアに応募し、採用になりました。

働き過ぎて体調を崩し、ついには離婚。立ち止まって自分を見つめ直すように

 

2社目も大手企業に入られたのですね。入ってみて、リクルートでの仕事はどういう印象でしたか?

ここでも営業職になりましたが、1社目とは雰囲気がまったく違ったためカルチャーショックを受けました。今のような働き方改革への転換以前の頃ですから、若手社員が自ら残業をしてそれを誇りに思っているような……。

私も結果を出したい一心で、自分の時間を仕事につぎこむようになっていきました。もちろん、営業なので評価は売り上げの数字で見られるのですけど。時間をかければかけるほどそれだけ多く訪問ができる、お客様と関わることができる。時間が成果に結びつきやすかったんです。

そんな働き方を続けていたところ、転職して3年目に体調を崩してしまいました。

それで仕事を休まれたのですか?

いいえ、いったん無茶な働き方にブレーキはかけましたが特に会社を長期で休むことはありませんでした。病院へ行って数日間休んだぐらいで。またすぐに仕事、仕事の生活に戻ってしまったんです。

私は転職後に、1社目で出会った人と結婚していました。夫は仕事よりも個人としての暮らしを大切にする人だったので、私の無理な仕事ぶりをずっと心配してくれて。「そんな働き方やめなよ」「何のためにそんなに頑張るの?」と。

ですが当時の私には、それが自分を否定する言葉に聞こえたんです。「あなたこそ、どうして私の頑張りを認めてくれないの?」どんどん気持ちがすれ違うようになって、ついに離婚をしてしまいました。

渡辺さんの意識だけの問題ではなく、「働き過ぎるぐらいが良し」とされていた当時の社会状況や社風なども要因にあったのではないでしょうか?

知らず知らずのうちに視野が狭くなり、その会社での暗黙のルールが自分にとっての「正解」になっていたのかもしれません。離婚したことは、やはり自分にとって大きなショックで。そこから「何のために働くんだろう?」「いつまでこういう生活を続けるんだろう?」と、自分自身の生き方を考えるようになりました。

バングラデシュでの生活が教えてくれた、仕事だけではない人生の価値観

その後バングラデシュへ移住されたのは、どういう経緯だったのですか?

結局リクルートに5年間勤務しましたが、辞める1年ぐらい前から身の振り方を悩んでいましたね。その中で、大学で研究していたバングラデシュに行くことが選択肢に浮かんできました。バングラデシュは、ものはないけれども人々が日本より心豊かに暮らしている国という印象があったんです。途上国なので面白いビジネスの機会もあるのでは、と。

現地へ行ってから仕事を決められたのですか?

知人のつてで、行く前に仕事を決めました。「バングラデシュに移住しよう」と堅い決意をして、というよりは「行って見えるものもあるはず」と希望を託す気持ちでしたね。

それで、ちょうど私の30歳の誕生日にバングラデシュへ渡航しました。

記念すべき日になったのですね。

いろんな偶然が重なった結果だったのですけど(笑)

行ってすぐに仕事をスタートしたのですか?

はい、バングラデシュでの仕事はオフショア開発の会社の現地マネージャーでした。オフショア開発というのは、現地のITエンジニアにシステムを開発してもらい、日本企業に納品する仕組みです。日本でエンジニアを雇うよりも人件費が抑えられるメリットがありました。そういった会社はインドやベトナムでも多いようです。私は現地のオフィスでひとり、人事や経理などの業務を担当しました。

そこで苦労したことはありましたか?

バングラデシュの人たちの気質で、家族・親戚をとても大切にするんですね。日本人の私からすると驚くほど遠縁の親戚のために、「お見舞いに行くから仕事を休みます」と。それが当たり前なんです。一緒に仕事をするとこちらの常識が通用しないので、自分の価値観そのものを見直す良いきっかけになりました。仕事よりも大切なものがあるんだな、って。

そこからまた、帰国を考え始めたのはなぜだったのでしょう?

バングラデシュで過ごした1年半のあいだに、私は知人に声をかけてもらって起業したんです。雇われるのではなく、自分でビジネスを動かすというのは私にはまだ難しかったですね……結果として、人をひとり解雇することに。「私は一体何がしたくてこの国に来たんだった?」と、また悩み苦しむようになりました。

そんな時、前職の先輩がニットへの入社を勧めてくれたことで、「一度帰国して新しい環境に飛び込んでみよう」と思いました。ニットが実現している自由な働き方にひかれたんですね。かつてのように、がむしゃらに働くことはもう無理。バングラデシュが嫌いになったわけではないし、今もまた行きたい、関わり続けていたい気持ちはあります。バングラデシュで培った「仕事だけではない」価値観で、いろいろなことをあきらめない働き方をしてみたくなったんです。

アフターコロナを迎えたら、また海外へ飛び出して行きたい

昨年末に帰国されて新しい仕事に意欲を燃やしておられたことと思いますが、世の中の状況が激変してしまいました。今、広報としてどんなことを心がけて発信していらっしゃいますか?

今はどうしても新型コロナの影響が先にあって、企業もそこを考えながら動かざるを得ない状況にあります。

弊社もフルリモートで400名のスタッフと業務を行ってきた知見をもとに、リモートワークの導入支援やオンラインイベント開催支援を行っているところです。

ですが、そればかりにフォーカスしていくと「そもそもニットは、どういう会社だった?」という核になるものが見えなくなってしまいます。会社本来のミッション・ビジョンを見失うことなく発信していけたらと思っています。

アフターコロナを迎えることができた時には、また海外へ行きたいと思いますか?

そうですね!バングラデシュもそうですし、違う国にも行きたいと思っています。今こういう状況になって、社外の方ともオンラインでコミュニケーションを取ることが普通になりました。そうするとあえて東京に住まなくても良いのかな、と感じています。

仕事面では、今後やりたいと思っていることはありますか?

ニットは一人ひとりの社員が広報と営業と……というように、複数の業務にまたがって担当することができる会社です。私もまたいつか営業職もやりたいですね。お客様と接して問題解決をしていく仕事は、楽しかったので。

焦りを感じていた以前とは違う、今は仕事を通して「自分の時間を生きていくこと」を実感しています。

まとめ

がむしゃらに働き、一時は自分自身を見失いそうになったという渡辺さん。辛い体験を経て、仕事だけではない生き方、価値観を見出すことができたそう。海外からまた日本へ帰国する際には自由に挑戦できる会社と出会い、広報のフィールドで成長を続けている様子が伺えました。困難にぶつかっても違和感から目をさらさず考え、新たな道を模索すること。渡辺さんの姿勢に、勇気づけられました。