2018年の締めくくり。今年の自分にとって、象徴的なキーワードを持つ本 ~働くわたしの本棚16~
年を追うごとに、月日の経つ早さに驚くばかりの私です。もうすぐ2018年も終わるのですね。今年はとにかく、仕事量が昨年の3~5倍ぐらいに増えて、常にギリギリの緊張状態にいました。それでもなんとか無事に終えることができ、ほっとしています。さて、今回は2018年を振り返って、私個人のキーワードだった「ビジネス」・「アイディア」・「聞く」・「文章」に関連する本を選んでみました。
目次
ライター
『キッチンで読むビジネスのはなし』
これまで度々著作をご紹介している一田憲子さんの『キッチンで読むビジネスのはなし』。タイトルからして、なんだかちょっと気になりませんか?「北欧、暮らしの道具店」店長の佐藤友子さん、「くるみの木」オーナー石村由起子さん、ロミ・ユニ コンフィチュール代表のいがらしろみさんら11人の社長に、一田さんが仕事とお金にフォーカスして話を聞いたインタビュー集です。
ユニークなのは、お話を聞きっぱなしではなく、それぞれの方へのインタビューの最後に、「○○さんのビジネスアンテナを私の暮らしに取り入れてみたら」という一田さん流実践法がまとめられているところ。
インタビューを始める前に私が知りたかったのは、自分の好きなことを仕事にしたり、好きなことでお金を稼ぐためには、どんなビジネススキルが必要なのだろう?ということでした。つまり、主役は「私」だったのです。でも、社長たちは、揃って同じことを口にしました。それが「相手が望んでいることを知る」ということ、相手のことを考えて考え抜く。ビジネスって一人勝ちすることではないんだ。そのことに深く感動してしまいました。
『キッチンで読むビジネスのはなし』より
成功しているビジネスほど、利他的である、ということなのでしょうか。自分の仕事が直接的・間接的に人のしあわせにつながって、それがお金という形で自分に返ってきていると考えると、ビジネスは素敵な社会貢献。どんどん豊かに、なめらかになれば良いなと思います。
じっくり考えて読み進めたい『スウェーデン式アイデア・ブック』
何か発想のヒントになる本を読みたいな、と選んだ1冊が「スウェーデン式アイデア・ブック」。硬質なビジネス書の中でひときわ目立つ、北欧スウェーデンをイメージするカバー装丁に心惹かれて。
30のテーマが並び、もしも「ただ読むだけ」ならばすぐ読み終えてしまうかもしれない厚さ。ですが、一つひとつのテーマをじっくり考えながら読んでいくと、内容はずっと濃厚になります。「自分だったら、どう考えるかな?」くり返し読んで、咀嚼していきたいと思いました。
自分の言葉で常に質問を言い換えるようにしましょう。提示されたアイデアがわかりにくいとき、プレゼン方法が悪いのか、仰々しい言葉で過剰包装されて不明瞭なのかを見分ける方法があります。あなたを小さい子供と思って説明し直してもらうのです。この「4歳児に話すように話してください」方式では、ごまかしがききません。
(中略)
物理学者のリチャード・ファインマンは、摩擦で靴がすり減ったと言われたとき、「摩擦とは何か」と聞き返しました。もちろん、彼自身は摩擦が何であるかわかっていましたが、相手が知ったかぶりをしているだけなのかどうかを確かめたかったのです。「靴底は、舗道に接するたびに、舗道の表面の小さな突起によって細かい粒子として砕かれ、少しずつ減りました」という答えが戻ってくると、ファインマンは満足そうにうなずきました。
『スウェーデン式アイデア・ブック』より
同じことを、大学院生の時に教授に言われました。「自分の研究の話を、小学生にでも分かるように話しなさい」本当に理解をしていれば、それができるはずだと。今も、仕事の中で知ったかぶりをすることなく、「教えていただけますか?」とお願いしながら、分からないことを残さないようにしています。
『生きるように働く』 仕事という人の生きる道を聞くこと
仕事百貨という求人サイトを運営するナカムラケンタさんの著作「生きるように働く」。読んでいると、ナカムラさんご自身を含め次々に登場する魅力的な人たちの仕事への思いにはっとさせられます。きっと、良いことを言おうとしているのではなくて、自分自身をできるだけ正確に、言葉にしたことがない思いも言葉にして伝えようとした時のまっすぐな感情に射抜かれるというか。
安心すると、心に浮かんだことをそのまま言葉にするようになるから、文脈がバラバラなんてこともあるけど、深いところまでたどり着くことができる。文脈を整えるのは、文章にするときでいい。大切なのは「話し手」に寄り添いながら、根っこに近い話を引き出すこと。
『生きるように働く』より
来年も幾度インタビューの機会をいただけるか分かりませんが、真摯に向き合っていきたいと思います。
三島由紀夫の『文章読本』
10代の頃に夢中で読んだ三島由紀夫。久しぶりに手に取ったのは、未読の「文章読本」です。さぞかし難解な文章なのだろうなと思って読み始めると、今の時代でもしっくりくることが主張されていました。
鑑賞用の果物というものがあります。一例が仏手柑で、これは見て、香りをたのしむだけのもので、喰べて栄養になるという、いわば実用的果物とはちがいます。それでは文章にも、厳密に言って鑑賞用というものがあるでしょうか。昔はそういうような文章もありました。(中略)現在のように教育が普及して、誰でも(中略)文が書けるという時代になると、文章のこうした特殊な機能は薄れて、鑑賞用の文章を見る機会は、われわれの周辺には少くなりました。しかしそれでもなおかつ、文章というものには、微妙な職業的特質があるのであります。誰にでも書けるように見えるごく平易な文章、誰の耳目にも入りやすい文章、そういう文章にも特殊な職業的洗練がこらされていることは、見逃されがちであります。
『文章読本』より
中島敦や梶井基次郎。昔大好きだった作家たちの文章が登場すると、それだけでうれしくてたまらないのですが、関心するのは三島がそれらの文章を褒める時の、表現の豊かさ。「風立ちぬ」で有名な堀辰雄の文章であれば、こんな風に。
この文章一つでもわかるように、氏は自分の気に入ったものだけを取り上げて、自分で美しいと思ったものだけに筆を集中しながら、自分の気に入った言葉だけでもって、美しい花籠を編みます。
『文章読本』より
仕事をしていると、今すぐ欲しい知識を得るためのビジネス書に読書傾向がかたよりがち。たまには、時を経てなおかつ残されている名文にも触れたいものです。
まとめ
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