3年ごとの海外転勤!育児ノイローゼだった私が幸せを再び見つけた方法
アメリカ人の夫と結婚して8年目。海外に移住してもやりたいことはできる!と思っていた矢先、妊娠判明。長女出産後、仕事はいったん休むことに。
2人目を妊娠、出産してから育児に追われる過去5年間。毎日同じことの繰り返しで、自分というものが一体なんなのかわからなくなり途方に暮れた日々…。
今回この記事では、海外で暮らす専業主婦が育児と家事だけの日々から抜け出し、社会とどのようにリコネクトできたのか、そしてどのように自分の幸せを再発見できたのかを紹介します。
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ライター
育児ノイローゼを乗り越えて、幸せをみつけるためにHELP YOUでライターとして活躍中。→執筆記事一覧
目次
教員になる夢を叶えるも、すぐに海外留学へ
東京にある大学を卒業後、神奈川県のとある小学校で音楽専科として勤めました。3歳の頃からピアノを習い始め、なんとなくやめずにいた音楽。ありがたいことに大学にも通うことができ、中学高校の音楽教員免許も取得しました。
幼いころに父を亡くし、母は常に仕事で家を空けていました。自宅では一人でいる時間が長かった私。そんな私にとって学校へ行くことは安心を保つ方法でした。
先生、友達、たくさんの人々に支えられたからこそ、私も将来は教員として生徒の心の支えになりたいと思ったのです。
希望通り教員の道に進み、幸せだったにもかかわらず何か物足りなさを感じ始めた2年目。そこで、思い切ってオーストラリアへワーキングホリデーに行くことを決意しました。
1年間で英語を習得。海外で働くことの楽しさや異文化の良さなどを体感しただけでなく、英語を話すのが大好きになりました。
帰国したときには、「もう教員には戻れない…」と心のどこかで思ってしまいました。
国際結婚を経てアメリカへ
帰国してからは横浜にある外資系会社に就職し、インド人のアシスタントを担当。そんなときに出会ったのが今の夫。どんどんうまくいく2人の関係…。
しかし、彼の仕事には3年ごとの海外転勤がつきものでした。そのときは恋に落ちていたせいもあり、「彼となら転勤だってへっちゃらさ!」と現実を甘くみていました。
やがて彼はアメリカへ帰って行き、私も学生ビザで渡米することにしました。その後とんとん拍子で物事がうまくいき、渡米してから6ヶ月で入籍、結婚することに。
出産後も好きな仕事を実現。それもつかの間…
「アメリカに移住してからも働きたい!」という思いで仕事探しを開始。なんとか日常生活にも慣れてきたところで、現地のモンテッソーリ学校で音楽と日本語を教えることになりました。さらにご縁があり、ピアノのレッスンもできることになったのです。
しかし始めて間もなく長女の妊娠が判明し、7ヵ月後には産休に入ることになりました。娘が生まれてからも「子どもを一緒に連れてきていいから戻ってきてほしい」と言われ、生後6ヵ月の娘を連れて学校で仕事をすることに。ありがたいオファーを受けながらも、この生活は長くは続かないな、と心のどこかで思っていました。
やがて娘がハイハイをしだし、活発に動き出して目が離せない10ヵ月頃。集中して教えることがだんだんと厳しくなり、残念ながら退職せざるを得ませんでした。
自宅でのピアノのレッスン
まさか、アメリカでもできるなんて思ってもいなかった大好きなティーチングの仕事。たった数年間の経験でしたが、日本で教員をしていたときには経験できないたくさんのことを学ぶことができました。
しかし「ここで仕事は諦めたくない」と思い、この経験を生かし自宅でピアノのレッスンを開催することにしたのです。ピアノのレッスンはだいたい一人30分なので、一日に2人の生徒さんだけを教えることになりました。レッスンが実行できたのは、近所の知り合いに娘を預かってくれるとオファーを受けたからです。
ありがたいことに、口コミだけで10人の生徒さんが集まってくださりクリスマスには自宅でリサイタルも開くことになりました。
子どもができても好きなことができて、そのうえお金まで稼げ、達成感も得られる。まさに満たされる毎日でした。
2人目の妊娠が判明、嬉しさの裏にあった葛藤
人生が波に乗っているそんなとき、2人目の妊娠が判明しました。もちろん嬉しい気持ちはありましたが、それと同時に不安もたくさん。
せっかく築き上げてきた仕事、生徒さん、これがまたゼロになってしまうんだ…。と、少し複雑な気分にもなりました。
でも、命を授かった以上にありがたいことはありません。残りの9ヵ月、一生懸命楽しもうと思いました。
2人目の出産が人生の転機に
夫は出張で6ヵ月以上不在になることが多く、2人目の妊娠が判明して間もなく旅立つことに。出産するときには残念ながら帰ってくることができず、iPadで立ち合い出産。夫は産後3ヵ月のときに帰ってきました。
娘はイヤイヤ期の2歳を迎え、息子はこの世に誕生。私の人生は息をつく間もなく過ぎていくことに…。
ワンオペ2人育児に追われ自分を見失う日々
夫は産後3ヵ月のときに帰ってきましたが、基本育児はワンオペです。1人が泣けば2人目も泣く。長女の嫉妬や赤ちゃん返りとイヤイヤ期、新生児の夜中の授乳で心身共にヘトヘト。
気付いたら育児ノイローゼになっており、夜な夜な泣く生活が続きました。子どもは欲しかったけれど、まさか育児がこんなに大変とは誰も教えてくれなかった…。そんなことを毎日考えていました。
自分の好きなことって何だっけ?
そんな大変な時期もなんとか乗り越え、息子が1歳半ころに差し掛かりようやく育児が少し落ち着いてきた頃。毎日子どものお尻拭きばかりをしている自分が、ふとなんなのかわからなくなってしまったのです。
母になって育児だけの毎日を送っていると、自分が好きだった食べ物も飲み物も趣味も全部忘れてしまう。そんな少し情けない自分を想像した日があったでしょうか?
悲しさと同時に、このまま育児だけして人生を終わらせてはいけない!と自分に言い聞かせます。
子どもは可愛いし小さい時期を楽しめるのは今のうち。しかし、どんなに忙しくても自分を取り戻せる時間を10分でもつくらないと、自分の幸せがなくなってしまう。「自分時間」を取ることは、簡単なように聞こえるけれど実現するのは以外と簡単ではない。そんなことに気付いたのです。
自分の幸せを見つけた第一歩
次第に「家から働けたらいいな」と思うようになりました。夫の仕事関係で3年ごとに転勤するので、アメリカでは誰も雇ってくれません。それに子どもが小さいので託児所がやたらと高い。
在宅ワークなら、パソコンさえあればどこにいても何時でも働けるので私のライフスタイルに合っているのではないかと思ったのです。
今まで主にティーチングの仕事しか経験がなかったので、自分にはどんなことができるんだろう?と考えを巡らせました。そんなとき、リモートワークの検索でHELP YOUを見つけたのです。
HELP YOUとの出会い
HELP YOUが運営する「くらしと仕事」の社内インタビュー記事で目にしたリモートワーカーのエピソードは、そのときの自分にぐっと強く語りかけるものがありました。
小さい子どもがいて育児と家事の毎日だけど、記事に登場するメンバーの中には育児中の方も多く、ここなら小さな子を持つ自分も家庭と仕事を両立しながらスキルアップできるのではないかと思い、ジョインを決心。
もともと英語が得意だったので、ジョインしてからは英語サイトのライターとして記事を執筆することになりました。
ライターは未経験だったので最初は覚えることや戸惑うことも多く不安でした。でも、パソコンの前に座って仕事をしている時間が貴重で幸せな時間ということに気付きました。
育児以外のことを考える時間の大切さ
次第に、日中子どもと過ごしている間も「次はなんの記事を書こうかな?」「この英語のフレーズはどうやって使ったらいいかな?」など、仕事のことを考えるようになりました。
そうしたらどうでしょう。今まで少しのことでイライラしていた自分に心の余裕ができ始めたのです。子どもたちが喧嘩していても無駄に仲介することなく静かに見守ったり、些細なことが気にならなくなったり。結果、物事を落ち着いて見ることができるようになったのです。
自分時間の確保は家族みんなの幸せにつながる
私には私だけの世界があり、そのことにフォーカスを当てることで他のことにイライラしなくなりました。このメンタルのシフトは、言うまでもなく家族全員にいい結果をもたらすことになります。私が幸せであれば家族みんなの幸せにもつながるようになったのです。
また、自分の書いた記事がサイトに投稿されるたびに誰かに読んでもらえているという幸せが日に日に積もり、毎日のモチベーションにもつながっていました。
過去の自分には、育児によるストレスもあり子どもや旦那に八つ当たりしたり怒ったりしてばかりのときも。しかし、HELP YOUにジョインしてからは「自分時間」の確保により、たとえ10分であろうと2時間であろうと、社会とつながることが心の幸せと健康にとてもいい影響を与えています。
まとめ
育児と家事だけでアイデンティティを失いかけた過去5年。今では育児ノイローゼも乗り越え、毎日自分だけの時間を持つときに感じる「幸せ」をかみしめています。そんなきっかけをくれたHELP YOUには感謝の気持ちでいっぱいです。
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