
正社員を辞めてフリーランスクリエイターへ|決断のきっかけとその後の日々
「仕事は我慢してやるもの」と信じて正社員であり続けようとした私が、正社員を辞め、フリーランスクリエイターとして生きることを選びました。決断のきっかけには、ある価値観の変化がありました。正社員として働く中で感じた違和感、体調を崩した経験、そしてターニングポイントとなった妻の一言。リモートワークや「HELP YOU」との出会いを通じて、自分らしい働き方を見つけた過程をお話しします。
▶︎ HELP YOUで自分らしい働き方を見つけたい方はこちら
目次
ライター
我が家のテーマ『笑顔と収入』が出来るまで
私と妻は共働きの二人暮らしです。玄関のよく見える場所に貼ってあるのは『笑顔と収入』という我が家の「社訓」です。「笑顔になれない仕事は禁止。けれど、笑顔だけでは生きていけない」そんな意味が込められています。
私がフリーランスという選択肢を選べたのはこの「社訓」のおかげです。それまでの私にとって仕事とは「我慢してやるもの」でした。今でもそれはある意味で正しいと思っています。しかし、この価値観が別の意味では正しくなかったんだ、と気付いた時、フリーランスとして働くことを決断しました。これから、その決断に至るまでに私が何を感じ、どう行動したのかをお話ししてみたいと思います。
創作への熱意を押し込めながら働いた日々
大学を卒業してから、私は当然のごとく正社員として勤務してきました。私が就活生だった時代、少なくとも私の周りでは、正社員を選ぶことが一番常識的な価値観でした。転職サイトがちらほらと現れ始めた頃で、終身雇用という価値観が辛うじて残っていた最後の時代だったように思います。
「仕事が楽しい!」と思える場面も、瞬間的にはありました。けれど、全体的に見れば「仕事は耐えるもの、我慢するもの」だったのです。
しんどさの理由は、繊細過ぎること
それには個人的な事情もあります。全てのことを深く考えようとしてしまう私は、同じ仕事量でも人の数倍疲れてしまうようなのです。自分では、この疲労感を誰もが経験しているものと思っていました。だから、「仕事は耐えるもの」という感覚も、当たり前のように出来上がっていました。しかし、最近読んだ本で、この疲労感はある種の人々に特有のものであり、生物学的にも必要な反応だということを知りました。今から思えば、仕事をしながら感じていたある違和感も、この深く考える性質に起因していたのだと思います。
心の中のモヤモヤが、創作活動につながっていく
社会人になって一番辛かったのは、心の底から使命感をもって仕事に取り組めなかったことでした。誰かの役に立って、お金を頂くこと。それが世の中の仕組みで、私もそれを理解していたのです。しかし、どんな仕事をしていても、私はある違和感を抱えていました。
「たくさんのモノを作って、売って、たくさんのモノを買っているのに、大勢の人が幸せそうに見えないのはなぜだろう?寂しそうなのはなぜなんだろう?」
世の中にあるさまざまな「会社」の必要性を分かっていながら、会社が提供している「幸せ」に私は深く共感することができなかったのです。もし許されるなら、私は誰かを癒すための作品をつくるためだけに生きていたい、そんな思いが日に日に強くなっていきました。
仕事と創作活動を両立させる日々
私は仕事の合間を見つけて、短い物語を書くようになりました。不思議なことですが、同じ時期に花や動物をモチーフにしたイラストも描き始めました。心の中にある一つの世界が、言葉や絵になって流れ出したのかもしれません。
それから、約10年のあいだ、仕事と創作活動を両立させる日々が続きました。なぜ創作活動に振り切らず、仕事と並行する道を選んだのか、と自分に問うてみます。当時の私は、きっとこう答えたと思います。「収入を得ることが大前提。それでも気力があるなら創作すればいい」。正社員であり続けることは、私にとって第一優先事項だったのです。
前職に就いていた頃、私は体調を崩します。現場の人材不足は、年々深刻になっているような気がしました。そうして、仕事の量と責任だけが増えていきます。「自分の居場所はここじゃない」という言葉が頭の中でぐるぐると回っていました。
けれど、耐えることしか考えていませんでした。耐えて、耐える。そのすきまに取り組む創作活動が日の目を見るまでは。自分ではそのように言い聞かせながらも、私の中で、何かが静かに腐っていたのかもしれません。妻と出会ったのも前職に就いていた頃でした。妻は、私の思いも、体調を崩していく経過も、全部見ていたのです。
ターニングポイントになった妻の言葉
社会人として信頼されるため、家庭を持つため、家族を安心させるため、私は正社員であり続けるべきだと思っていました。耐えることが、責任を果たすことだと思っていました。そんなとき、妻からもらった一言が、私にとってのターニングポイントになります。
「旦那の辛そうな顔を見るために結婚したんじゃない。辛そうにするなら、辞めてくれた方がまし」
この言葉の真の意味を理解するには、時間がかかりました。けれど、考えごとをしたり、何かを決断しなければならないとき、いつもこの言葉を思い出しました。そうして気付いたのは「稼ぐことだけが、夫としての責任の取り方ではない」ということでした。
それまでの私は、休日でも寝込んでいたり、妻と一緒に出かける予定があっても、体調不良を理由にキャンセルしたりすることがよくありました。そのときは体のことで精一杯で、妻の気持ちを想像する余裕がなかったんだと思います。稼ぐことに責任を持とうとしてきた結果、自分や家族の笑顔を犠牲にしていたこと。この状況は、妻の望んだものではなかったのです。
まずは笑顔でいること、そして収入にも責任を持つこと。こうして私たちの家庭のテーマが出来上がりました。新しい目標に向けて、私は何ができるかを考え始めることになります。
イラストとライティング:2つの場所で基盤をつくる
私は退職して、次の生き方を模索し始めました。今後の具体的な見通しは何も立っていませんでした。しばらくのあいだ、失業保険が支給されたのはありがたかったです。具体的な期日に向けて、安定した基盤を作ろうという計画が立ちました。
まずは、自分の描いたイラストを使って、雑貨やアクセサリーを売ってみました。けれど、イベントに参加して、いつもより売れたと思っても利益としては数千円です。到底、自活できるとは思えませんでした。もし、このまま売り上げが伸びなかった場合に備えて、いくつかの準備を進めていました。その過程で出会ったのがリモートワークという働き方でした。

今でも続けている雑貨の販売「Kirin House」
収入源を増やすため、リモートワーカー養成講座に参加
最初に始めたのが、リモートワーカー養成講座を受講することでした。文章を書くことに興味があったので、私はライティングコースを選び、OJTも含めて約半年間の学びの期間が始まりました。
印象に残っているのは、「仕事を通じて何をしたいか」「どんな環境で仕事をしたいか」について振り返るワークです。このワークを通じて、自分の疲れやすさをカバーする働き方「24時間を3分割して8時間の労働をする」という新しいスタイルを思いつくことができました。イラストを描いたり、講座の課題に取り組んだりする過程で、この考え方を実践した結果、「これでやれそうだ!」という自信を持つことができました。
この頃から、家族の前でも笑顔が増えていたと思います。リモートワーカー養成講座も終わりに近付き、もっとこの働き方を続けたい! と思っていたところ、同じ講座の参加者から聞いたのが、オンラインアウトソーシング※1「HELP YOU」でした。
HELP YOUで時間に縛られないライターへ
HELP YOUの採用ページでは、プライベートでの役割と並行して、仕事に取り組んでいる方の事例、海外で時差のある中でも仕事に取り組んでいる方の事例が紹介されていて「働く時間を自分で選べるところがいいな」と思いました。応募の際、私はオープンポジション採用※2という選考方法を選びました。特定のポジションに応募するのではなく、自分の現状や、未来のビジョンに基づいて、面接の担当者と一緒に、どのポジションなら理想の働き方が実現できるかを考えることができる選考方法です。
実際の面接では、時間に縛られない働き方について、担当の方が親身になって考えてくださいました。「ぜひここでがんばってみたい!」と私の意思をお伝えして面接を終えた数日後、採用の連絡が届きました。HELP YOUにジョインしてからは、前述のライティング講座で学んだことを活かして、Web記事を書いています。
まとめ
今はまだ前職よりも収入は少ないですが、自分の働き方を自分で選べること、すなわち未来を自分でつくっていけるかもしれないことが、強いエネルギーを与えてくれています。
▶︎フルリモートワークの新しい働き方に興味がある方はこちら
Link