キャリアを諦めてきた「転勤妻」の私が、自分らしさを取り戻すまで

転勤族の妻として、都市圏に比べて働き方の選択肢が少ない地方への引越を繰り返してきました。キャリアを積んでいきたい、と仕事を選んで頑張るもまた転勤…。さらに、子どもが就学するも「なかなか登校できない」状況に直面。子どもに寄り添うために大好きな仕事を諦めざるを得ませんでした。そんな時に、「私らしさ」をよく知る親友からのひと言で一念発起。キャリアの再スタートに至るまでの経緯をお伝えします。
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ライター

中村朗子
千葉県出身。山陰在住。メーカーのマーケティング部門に勤め、退職後は複数の法律事務所でパラリーガルの経験を積む。転勤族の夫と結婚してから15年間で日本国内の4拠点に居住。小学生兄妹の母。学校に行きづらい子どもと一緒に過ごせる、柔軟な働き方を求めてHELP YOUにジョイン。

退職して思い知った「転勤妻」がキャリアを築く難しさ

何も考えていなかった20代

私は千葉のベッドタウンに住んでいるサラリーマン家庭の娘として生まれ育ちました。中学からは都内の女子校に通学し、都内のメーカーに就職しマーケティング部門に配属。地方と東京の違いなんて特に意識をしたこともないまま育ち、「タイミングかな」と思って結婚をしました。相手が転勤族であることを気にしつつも、何も知らない私は就職氷河期を乗り越えてつかんだ椅子を気軽に手離してしまいました。そこから「こうありたい自分」と、家庭内で背負っていくいろんな役割との間で葛藤を続けていくことになりました。

転勤妻の悔しさ

当時の私は転勤があっても、ひとつの職種でキャリアを構築していけばいいと考えていました。実際、パラリーガルとして複数の地域でいくつかの事務所に勤務しました。また別の士業の事務所に勤めたこともありましたが、近くに頼れる親戚もおらず、仕事で多忙の夫と共に子育てをしていく中で「キャリアの構築」というのはなかなかハードルが高い状況でした。せっかく仕事を覚えても転勤があり、何度も悔し涙を流した記憶があります。

地方に引っ越してから感じた息苦しさ

釣りをする様子 くらしと仕事

「選択肢の少なさ」という現実を知る

現在、住んでいるのはとても穏やかで子育てがしやすい街です。ですが、パラリーガルを継続するには選択肢が少なく、難しい状況でした。もちろん募集はありますが、地方都市にはフルタイム勤務での求人しかほぼありません。うちの子どもたちは、保育園や小学校からの呼び出しが多かったため私には選択ができませんでした。

そこで、「いまは子育て期間なんだ」と割り切り、勤務のしやすさだけに重点をおいて、いままでと全く畑違いのパート職の仕事を始めました。気楽で楽しくもありましたが、いま振り返ると「できること」と「やりたいこと」との乖離に常に葛藤しており苦しかった気がします。そのため親友たちが東京で企画した「二倍成人式」という名の同窓会にはひるんでしまい、参加できませんでした。女子校の中でジェンダーロールを意識せず、伸びやかに逞しく育ち、バリバリと働く友人たちの姿を想像すると気後れしてしまったんだと思います。

ままならない子育て

そんな中で、子どもがわりと珍しい病気にかかり入院。24時間付きっきりの入院生活と自宅療養で仕事へ復帰するまでに約3か月かかりました。正直、子どもが登校を再開した時にはほっとしてからの脱力感で、しばらくの期間何事にも気が入らない状態でした。その状態では仕事へ真摯に向き合えるパワーもなく、働く意欲も消えてしまい退職することとなりました。

その後、子どもが2人とも小学生になり、少しは落ち着くだろうと思ったのも束の間。専業主婦になった私を待ち受けていたのは「子どもがなかなか登校できない状況」でした。学校での時間にしんどさを感じる子どもの足は学校から遠のき、家で過ごす時間が長くなりました。また、登校する際には遅刻して付き添い、教室のそばで過ごすことも。

自分の頑張りだけではどうにもならない状況に、いろんなことを諦めざるを得ず、自分のことは二の次という生活にどんどんと慣れていきました。

ターニングポイントは突然に

宍道湖の素敵な1枚 くらしと仕事

コロナで変わる世の中

そんな中で地方で過ごしつつも少し流れが変わってきたのは、コロナ禍による世間のオンライン化促進の影響です。大好きな写真家さんのオンライン写真部に応募したり、以前から勉強したいと思っていた分野についての勉強会がオンライン化されて参加したりできるようになりました。(今は「ニューロダイバーシティ」という脳や神経由来の多様性についてのゼミに毎月参加をしています。)おかげで地方からの情報やコミュニティへのアクセスへのしにくさ、という障壁が低くなっていくのを肌で感じていました。

親友からの言葉で火がついた

私のもどかしい状況を打破するきっかけをくれたのは学生時代からの親友でした。アウトソーシングについては当然知っていましたが、自分の仕事の専門性に、自信も喪失している私には無関係のことだと思っていました。しかし、親友たちとZoomで会話をしている際にいくつかの会社名を提示してくれました。その中でも、彼女がクライアント側として業務委託をしていたのがHELP YOUで「スタッフの質が高い」「とにかく仕事が速い」「なんでもお願いできる業務の幅の広さがすごい」と嬉しそうに話していたことで、そこに働く人たちの姿を想像し、「私もそこに加わりたい」という気持ちに火がついたように思います。そして彼女が最後に言ってくれた「知っているディレクターが素敵な人だから、そういう人と関わって自信を取り戻してほしい」という言葉も胸に響きました

働き方を選択できる幸せ

いま、ご縁がありHELP YOUでお仕事をさせていただいていますが、本当に多岐にわたる業務があり驚いています。そして世間では四十路になると業務の幅は狭まる傾向があるかもしれませんが、私は未経験の業務を選択し挑戦できることに喜びを感じているところです。またブランクの空いてしまった業務について勉強をしなおし、さらにブラッシュアップしていけることにも興奮しています。大好きだった仕事を再開し、「迷ったらGO」と思っていた自分を、少しずつ取り戻していく手応えを感じている真っ最中です。

そして何より感動したのは、自分で生活のリズムを組み立てられること。これにより、子どもが学校に行きづらい時でも「昨日頑張ったし休んでも大丈夫だよ」「送っていこうか」「お家にいるからできるところまで登校しておいで」と無理なく言えることにホッとしています。実際は、仕事を入れすぎて「最近全然遊んでくれない。面白くない!」とクレームが子どもから入ったことも。ですが、子どもに寄り添い、会社に欠勤や遅刻で謝り続ける負担がなく、自分自身にも子どもにも居心地よい働き方を選択できていると思います。私の選択が私の人生をつくっていくのだと、いま改めて感じられるのです。

子どもたちに見せたい母の背中

子どもたちは、私が必死に保育園や病児保育にお世話になりながら仕事をしていた時の姿を覚えていません。ですが今は在宅で「おかえり」と迎えられますし、パソコンにかじりついて必死に仕事をしている姿や、新しいスキルを学ぶために勉強している姿も見せられています。いろんな働き方があり、母もいろんな顔をもっているということも見せることができているのではないでしょうか。今の自分は「こうありたかった自分」に近付くために、回り道をしながらも、また歩き出したところだと思っています。背中を押してくれた親友や、チャンスにつながるHELP YOUに加わることができて本当に良かったです。

まとめ

最初は自分で選択したはずなのに、思いがけない方向に人生がコロコロと廻りだしてしまうこともあると思います。私はまさしくそうで、過去の自分を恨むことや、周囲にあたりたい気持ちになったこともあります。そしていつの間にか、諦めることにも慣れて自分を取り巻く状況に身を委ねてしまいがちでした。
でも、再選択ができるタイミングはいつだってあるんだと今回改めて改めて実感することができました。諦めずに選択肢を探していくことで、自分らしさを取り戻すことができるとも感じました。
自分の人生は自分の選択でつくり上げる。まだその新しい一歩を踏み出したばかりですが、この一歩を大切にし、仕事に向き合っていきたいと思います。
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