会社生活をやめた52歳の私が出会ったフルリモートワークという働き方

ふとしたきっかけでこれまでとまったく違う生活が訪れ、そして新しい生活の中で自分が変化し始める、人生って不思議なものだと思います。出会いって偶然か必然か分かりませんが、その過程で自分が何かしらの意思決定をしているに違いありません。いきさつなどいろいろありますが、確実なのはあの時あの選択をしたから今があるということです。
学生時代を終えてから今日まで出産も経験しながら会社生活を続け、50歳手前で突然無職になった私が「会社員以外の人生もある、何歳になっても新しい働き方に挑戦できる」ことをお伝えします。

ライター

naeno
50歳の節目と息子の大学進学を機に会社生活を辞め、HELP YOUにジョイン。
スローペースにリモートワークを続けている。→執筆記事一覧

会社を辞めたきっかけ

息子の大学進学と新型コロナウイルスが同時に訪れた

仕事と家事、育児に追われ気が付けば20年の歳月が過ぎました。一人息子の大学進学と新型コロナウイルスの猛威が同時に訪れ、当時50歳という節目に差し掛かっていた私は、後先考えずに長く続けた会社生活に背を向けました。
仕事人間だった私にとって、これまで専業主婦になるという選択肢はありませんでした。そんな私が会社を辞めたきっかけは夫からの言葉でした。

「息子を元気に育ててくれてありがとう。これからは好きなことをしたらいいんじゃない?することが見つからなかったらとりあえずゆっくり休んだらいいし、今までみたいに会社で働くんじゃなくて、自分が楽しいと思えることをしてたらそれが仕事になるかもしれないよ」

ちょうどその頃、職場で新しい仕事を任されていて、息子が大学生になったらこれまで以上に仕事に専念できると思っていた私は夫の言葉にちゅうちょしました。しかし、「もう1年その仕事を続けたいと思える?」と夫に問われた時、私の答えは自分でも意外なことに「ノー」でした。

いつからか仕事が楽しくなくなっていた

年次が上がるにつれて仕事で目新しい体験に出会うことが少なくなり、以前ほど仕事に没頭できなくなりました。良くも悪くも業務を「こなす」日々は、まるで終わりのないトンネルのよう。1年先を想像しても、疲れ果てた自分しか見えませんでした。

会社生活を続けている限り、場所と時間を拘束される。作業効率を高めるほど減るどころか増え続ける仕事。勤め先を変えても、会社というものに所属している限りは同じことの繰り返しであると、何度か転職を経験した私は気付いてしまったのです。いつからか仕事が楽しくなくなっていました。

「辞めていいの?本当?」
日本と韓国と中国を行ったり来たりしていた私のために、というよりは息子のために、自分のキャリアを中断して支えてくれていた夫が「なんとかなるから大丈夫」と言いました。

自分へのご褒美のつもりでしばらくのんびりするのも悪くない。ちょうど新型コロナウイルスで世の中全体が自宅待機を強いられていたような時期でもあったので、いいタイミングでした。一度立ち止まって今後どのように過ごすべきか考え直すことにしました。

長い寄り道

夫が韓国に戻った矢先に政府の水際対策が発令され、日本と行き来できなくなりました。当初の計画では私も後から行って一緒に暮らす予定でした。

自由気ままな生活が始まると呑気に構えていた私の期待は大きく外れ、対面授業がなくなって自宅に戻ってきた息子との2人暮らしが意図せずスタート。「こんなにのんびりしてていいのかな」と仕事をしていないことが落ち着かなくて求人検索をしてはため息をつく日々がしばらく続きました。

そんな私を見て、夫も息子も「心配しなくても勉強とか趣味とかやることはいっぱいあるよ。したい仕事が見つかるまでゆっくりしててね」と気楽に言ってくれるのですが、私は悶々とするばかりでした。

学び直し

ある日のこと、息子がつぶやくように言いました。「いい意味で長い寄り道をしているのかもしれないね。コロナがなかったら自分が近道していることにも気付けなかった」と。待ち焦がれていた大学生活を満喫することもできないまま自宅待機を余儀なくされていた息子も辛かったのです。何気なく言った息子の言葉が私の心に静かに沁みました。

私も今はいい意味で長い寄り道をしているんだと思うことにしよう。いずれまた仕事を始めるにしてもこれまでと違う働き方がしたい。この機会にスキルアップや資格の取得も視野に入れてじっくり腰を据えて考えてみよう。

そうは思ったもののすぐにはどんな資格を取るべきか分からず、とりあえず楽しく続けられそうな韓国語の学び直しをすることにしました。時間を決めて机の前に座ることを習慣にすること1年半、いつしか勉強に使用したノートが10冊を超えていました。

そうこうするうちに仕事を辞めて3年が経とうとしていました。充実した日々を送る一方で、社会との接点がなく先の見えない生活に焦りは募っていくばかりでした。

HELP YOUとの出会い

「実は長年勤めた会社を辞めて在宅ワークをすることにした」

私がHELP YOUを知ったのは友人からの一通のLINEがきっかけでした。
住んでいる場所に関係なく、好きな時間に好きなだけ働ける。すごく面白い」という熱量のある文面からは嬉しさが伝わってきました。日本で働くか迷っていた友人も今は海外でダブルワークを実践中だそう。

「へえ、面白そう。私にできるかな」とがぜん興味が湧いた私は、その連絡を受けた日から数日後、ホコリをかぶっていたパソコンを開きました。久しぶりの緊張感は何となく心地よく、採用課題の提出まで集中して終えることができました。

その後も自宅から一歩も出ずに面接から研修までパソコン一つで完結。採用から1か月が経った今ではHELP YOUのスタッフとしてコラムを書いているなんて嘘のようです。HELP YOUを紹介してくれた友人には感謝しています。

自分の居場所が変わっても働き続けることができる

実際にフルリモートワークってどうなのだろう。会社にいた頃と同じように、言われた仕事を黙々とこなすことになるのだろうか。新たな働き方に期待が膨らむ反面、どこか冷めた気持ちもありましたが、そうした感情はHELP YOUに入ってすぐに一変しました。単に仕事を依頼する側とされる側という立場を超え、温かな関係を築こうとしている会社なのだと知ったからです。

最終試験に合格したその日にChatwork(※)のスタッフ部屋へ案内され、後日、Welcomeパーティーに参加し、同期の方々と画面越しに自己紹介をしました。社長あいさつから始まり集合写真まで1時間ほどで終わりました。この他にも不定期に行われる社内イベントがたくさんあり、一度も出社していないのに会社に所属している気分を味わうことができます。

※ HELP YOUでは基本的にチャットツールを介してコミュニケーションを行う。

自分のペースで仕事ができる

最初の2か月は怖気づいて仕事に挙手することができませんでした。(この会社は挙手制なのです。)3か月仕事をしない状態が続けば退会処理となります。
Welcomeパーティーで知り合ったディレクター(※)に相談したことで少し勇気の出た私は、自分にもできそうな仕事にようやく挙手。HELP YOUのお仕事には単発継続がありますが、リモートワーク初心者の私が選んだのは前者でした。

※ HELP YOUでは業務内容に応じてディレクター、パーソナル、スタッフに役割分担されている。ディレクターは担当案件ごとにスタッフとクライアントの間に入り、業務の進行管理を行う。

ひと仕事終え、ほっとしたと同時に少し自信のついた私は、しばらく間を置いて別の単発のお仕事にも挑戦しました。これであと3か月退会せずにいられると安堵。少し働いて少し休む。またいい仕事があれば挙手してみる。なるほど、こんな働き方でいいんだ

社会と少しだけつながっていられる

いったん会社を離れると社会とつながりが切れたように感じますが、ここでは会社に行かなくても仲間や社会とつながっている実感が確かにあります。1日に何度もスマホに着信音が鳴ります。
自分の居場所が変わってもオンラインでいつでもつながっていられるので、もしこの先、親の介護や海外移住をすることになっても、通勤が必須の会社なら辞めるしかないところですが、HELP YOUなら住む場所が変わっても働き続けることができる。それがこの会社を選んだ一番の理由です。もちろん、会社に行かず家にいながら仕事ができることも今の私にとって大きな魅力です。

▶︎ フルリモートワークでも孤独じゃない、HELP YOUについて詳しく見る

会社生活に戻れない理由

好きなことを仕事にしたい

好きなことを仕事にする、ということはまだ実現できていませんが、最近、夫の勧めで趣味もかねて動画編集を学び始めました。この2年くらい散歩中の風景動画に音楽を付けてSNSに投稿していたので、気にはなってはいたものの、スクール探しの段階で挫折しためんどくさがり屋な私。見かねた夫から「YouTube先生なら無料だよ。趣味も兼ねて勉強してみたら?」と言われ、ようやく重い腰を上げることができました。
韓国に「시작이 반이다(シジャギ バニダ)」ということわざがあります。意味は「始めてしまえば半分終わったも同然だ」です。やってみると意外と楽しくて、くよくよ考えるより始めるのが一番だと分かりました。

毎朝の運動

毎朝、近くの公園をウォーキングしているのですが、その時間が何より好きです。木々の生い茂った公園の中を歩いていると魔法にかかったようにわだかまりが消えて心がスーッと晴れていくのを全身で感じます。

子猫との出会い

いつものようにウォーキングに出かけたある日のことです。公園の入り口周辺で一匹の子猫が落ち葉の吹き溜まりにうずくまっていました。手の平に乗るほどの小さな小さな黒猫でした。放っておくとカラスに襲われるかもしれない、そう思った私は一瞬の迷いもなく子猫を拾い上げ、家に連れて帰りました。

息子が一人暮らしを始めたタイミングで捨て猫と出会ったことに運命的なものを感じずにはいられませんでした。その日を境に自分中心の生活は一変して、子猫中心の生活が始まりました。いつしか猫は私たち家族にとって大切な存在となり、日々家庭に会話と笑いといやしをもたらしています。かけがえのない猫との暮らしは、あのまま会社生活を続けていたら訪れていなかったでしょう。これが会社生活に戻れない一つの理由です。

母の存在

もう一つは、母の存在です。私は大学を卒業してから海外生活が長く、母に寂しい思いをさせてきました。だからこそ、今はできるだけ母と過ごしたいと思い、夕食を一緒に食べることにしています。

母は時計の針のように時間に正確な人で、4時にうちに来て夕食を食べると5時前には「今日もおいしく食べさせてくれてありがとう」と嬉しそうに言って帰っていきます。それは私にとっても嬉しいことです。

母と猫のおかげで早寝早起きの習慣がつきました。韓国行きは当面お預けとなりましたが、いつ行くことになってもいいように、空いた時間を利用してHELP YOUのお仕事や勉強をしています。家族との時間を大切にしたい今の私にちょうどいい働き方だと実感しています。

どちらを選ぶかは自分次第

自分の周りでも最近、一流企業に勤める大学時代の友人達が口々に愚痴をこぼしています。「あと10年も働ける気がしない、早く辞めたい」と。事情はさまざまでしょうが、仕事に対して以前ほどにやりがいが感じられなくなり、体力的にも精神的にも限界を感じながら、みんな同じように悩んでいるのだと知りました。

同年代の友人達より一足早く退職した私は、安定した収入を得ることができなくなりましたが、焦りや不安にさいなまれながらも好きなことを諦めずに模索し、それなりに充実した毎日を送っています。会社に拘束された日々から解放されて自由な時間を得ることができたこととのトレードオフとして今の状況を受け入れているのですが、どちらを選ぶかは自分次第です。

まとめ

50歳を目前に安定した職場を手放すというのは勇気もいりますが、自分で何かを選ばなければ変化は訪れません。仕事で得た経験や知識は決して無駄にはなりませんが、一方で変化の激しい現代においては、年齢に関わらず新しい知識やスキルを身につける必要性が高まり、学ぶための機会や支援ツールも身近に増えています。
これから親の介護や海外移住の可能性のあった私は友人の紹介でフリーランサー的な働き方ができるHELP YOUに出会うことができました。一度立ち止まったことで自分に合う働き方に出会えたのだと思います。
私のようにさまざまな事情を抱えながら再就職に踏みだせない人や新しいスキルを身につけながら働きたいと思っている人がいたら、私が友人から教えてもらったように「HELP YOUという場所があるよ」と言ってあげたいです。

Link

おすすめリンク