転勤、ワンオペ育児で25㎏減!「選択しないこと」の危険とは?
寝る前にコンビニのチョコパン500㎉を食べたのに、翌朝500g体重が減るという日々。痩せてラッキー♪なんて思っていたけれど、止まらない体重減少に周囲からは病気を疑われる始末でした。仕事から逃げるように専業主婦になった私は、自覚のないままワンオペ育児と産後うつのため、体重が25㎏も激減しました。こんな事になる前に「結婚」「キャリア」など、もっと「自分の人生」を真剣に考えて、生き方を選択すべきだったと気づいたのは、HELP YOUで在宅ワーママになってからでした。
目次
ライター
「結婚・出産プレッシャー」と自分の生き方のバランス
結婚する?しない?
思いがけず現在の夫と出会い、アラサーで結婚した私。でも本当は結婚願望のない20代を過ごしていました。一人で何だって出来る!と強がっていたけれど、当時の私は結婚適齢期。「結婚しないの?」「子供は?」といったプレッシャーをあちこちからかけられ、世間体と自分が本当に求める生き方とのバランスを、どのようにとれば良いのか悩んでいました。
今思えば、夫に結婚後のお互いの生き方について正直に相談して、いくつかの選択肢を見つけておけばよかったと思います。
状況に流されて、やりたいことができなかった20代
仕事に関しても、本当はNPO団体で活動したかったけれど、それだけでは収入が成り立たない状況でした。そこで入ったのが損保関連会社です。事務専門会社なのに、私のようなフットワークが軽いだけの人間が採用されたのは、当時「多様性人材」を採用するという会社方針からの判断だったようで、おかげさまで色々な仕事を担当するようになりました。
しかし同時に、忙しさでNPOの活動は出来なくなりました。まだ20代前半だった私に、NPO事務局長が、「一度社会で揉まれて、また戻っておいで!」と、かけてくれた声に甘えたのでした。
結果キャリアも流されるままに行動し、自律した生き方の選択だったとは言えませんでした。
仕事から逃げる口実としての転勤帯同
やりきった仕事と徒労感
当時の業務は主に採用関連、各種司会、HPの管理、社内報作成など、いろいろな仕事を任され、残業で夜中の12時まで作業することもありました。毎日ヘトヘトの中、「なんで私はこんなに働いているのだろう?」と、疑問に思う日々でしたが、必要とされていることに嬉しさも感じていました。
そんな中、夫との結婚が決まり大阪に行かなければならないと告げられました。「もう今の仕事はいいかなぁ」と、やりきった感覚と徒労感でいっぱいになって、退職と大阪行きに同意しました。つまり、退職や転勤帯同の決定はポジティブな動機ではなく、ある種「逃げの気持ち」に流されて決めたようなものです。
待っていたのはボロボロの社宅?逃げてきたら待ち受けていたこと
友人達に、「大阪?!新天地なんて新しい友達が出来るじゃん!」「絶対に遊びにいくから粉もんおごれよ!」なんて応援されましたが、正直不安ばかり。
当初住む予定だった社宅は、まるで昭和時代の団地を小さくオンボロにしたようなところでした。妊娠中に大阪へ行き、部屋を見せてもらって衝撃を受けたのを覚えています。5階建てでエレベーターがない!周囲は畑と工場!でも山が近くて私の出身地と同じ雰囲気・・・と思うのですが、反社会的勢力の事務所が近くにあるなど不安要素もあり、モヤモヤしながら社宅を後にしました。
その日、夫は大阪の寮へ帰り、私は一人東京へ。今では笑い話ですが、帰りの新幹線の中、窓に流れる景色を見ていたらなぜか涙があふれてきたのです。その理由は、自分の選択に対するおぼろげな後悔だった気がします。
今まであんなに頑張っていた仕事、大好きな友人、そして家族など「自分が大切にしていたものを全部捨てて、あの社宅でワンオペの家事と育児生活。これを私は本当に望んでいるのか?」。そんな不安がよぎりましたが、もう後には戻れない。なんとか友人達の応援に自分を納得させて、大阪へ向かったのでした。
心機一転頑張るぞ!と意気込んだけれど・・・
実際に住んだ社宅は、夫が会社と直談判して大阪市内の綺麗な分譲マンションになりました。住まいは諦めていたので、決まったときは手を叩いて夫とハイタッチしました。そして始まった大阪生活。
当初は子供を預けて資格を取ろうと考えていたのです。新しい手帳を買って、一時保育先を探して、資格取得の講座案内を見たりして、まるでこれまでの会社員時代と同じように振る舞えると期待していました。頑張れば出来る!と思っていたけれど、まさか考えていたことが一切出来ないなんて想像もしていませんでした。
噂に聞くワンオペ育児
母乳育児の過酷と罵声を浴びさせられた断乳対応
ワンオペ育児が始まる中、何が大変だったかというと母乳育児による細切れ睡眠でした。当時何の疑いもなく、母乳が出れば母乳育児一本でいいやと、簡単に考えていました。
育児には個人差があると聞いていたけれども、こんなに大変なものだとは予想外。夜中2、3時間毎に子供の泣き声で起こされ、母乳を与えるという日々が2年弱続きました。6時間まとめて寝たことなんて一度もありません。これがどんどん私の身体を蝕んでいったのです。
二人目の息子が1歳の頃、母乳育児をやめようとしたことがありました。そのとき助産師さんに相談したら、「自分が辛いからやめるなんて、あほやな!それでも母親か!」と怒られ、本当に泣きながら母乳育児を続行した経験があります。
この母乳育児中心で生活していたことが、一時保育に預けられなかった理由の一つでした。ほかに、緊急連絡先に第三者が必要なため転勤族は一時保育を断られます。結果的に大阪生活の5年間で子供を二人授かったけれども、誰かに預けたことは一度もありません。
努力してもどうにもならない世界
ワンオペ育児の経験がある方はお分かりだと思いますが、子供を預けられなければ自分の時間を確保することなど到底できません。来阪半年にして、既に当初の予定は全て崩壊していました。
買った手帳は真っ白で綺麗なまま。資格取得なんて夢のまた夢。努力すれば人生なんとでもなると思っていた私は、ものすごく大きな精神的打撃を受けたのでした。頑張っても、努力しても、どうにもならない世界があったと、人生で初めて「社会的弱者」というものを知りました。
そして減りゆく体重と霊障を疑う義母
来阪一年が経った頃には、すでに25㎏痩せていました。妊娠期に16㎏太った(!)事実もあるし、母乳育児は母親が痩せるというけれども、それにしては度が過ぎています。
呪われて痩せ細り死んでいく昭和ホラー漫画のような状況でしたが、私自身は初めての激やせ体験にちょっとウキウキしていて、何を食べても痩せる~!サイコー!などと思っていました。夫が心配してカロリーが高いものを買ってきてくれたものの、夜中に食べても痩せが止まりません。
義母なんて何か悪いモノでも憑いているのではと霊障を心配して、お祓いしてくれるほどでした(9体の霊が憑いていたそうです・・・)。
一人で悩まない、相談して選んでいく
終わりを告げた大阪生活と後悔
結局、そんな日々が終わりを告げたのは来阪5年目のことでした。夫の東京支社転勤の希望がかない、地元へ居を移して今年で3年になります。今では体重が戻りすぎて焦っていますが・・・。
大阪生活を振り返ると「なぜ一人で悩んでいたのだろう」と、孤独に過ごしていた自分を労り、抱きしめてあげたくなります。退職も、大阪生活も、母乳育児も、ワンオペ育児だって、もっと周囲に相談すれば良かった。そうすればきっと、他の健全な選択肢があったはずです。
HELP YOUで在宅ワーママを選んで
HELP YOUのジョインは、夫や友人に一年間相談して決めたことです。自由な生き方の足がかりとしてHELP YOUを選択した結果、今は本当にやりたい仕事しかしていません。
先日、新人育成担当の方が、オーバーワークになりかけていた私の業務について、「本当にやりたい仕事を選んでいますか?」と声をかけてくれました。求められただけ受けてしまう私の性格を察してのことだと思います。
スタッフのことを気遣い、困った時には素直に相談できる人たちと仕事をしているんだと実感した瞬間です。「大丈夫。やりたい仕事の一つです。」と、無理をしていないことを伝えました。
一般的なフリーランスの働き方はさまざまで、一人ですべてをこなす方もいるでしょう。しかしHELP YOUには、仕事でもプライベートでも相談出来る環境が整っています。そして、互いを讃えあい、フォローし合える仲間がいます。
またフリーランスのノウハウがあり、未経験でもチャレンジが出来る土壌があります。何も分からず始めるよりも、きっとここなら頑張れると思える場所で、自分が納得する仕事を選んでいけば、もう二度と25㎏も痩せることはないと、今は自信をもって断言できます。
まとめ
アイキャッチデザイン/今泉香織
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