世界的ファッションブランドにほれ込み、駆け抜けた半生。大分へUターン後のセカンドキャリアでも輝き続ける

大分で日本初の「マルタン マルジェラ」取り扱い店となったセレクトショップを経営、その後上京してブランド社員となりともに成長を続けた林弘美さん。家族の介護のためにUターンしてからも、次々と新しい分野の仕事に挑戦を続けています。現在はHELP YOUのマネージャーとして働きながら、週末はNPO団体での文化活動も。恋するように仕事へと全力を注ぎ続ける「働く女性」のロールモデルとして、その原動力やポリシーをお聞きしました。

インタビュイー

林弘美さん
大分市出身。芸術短大卒業後、ヨーロッパブランドのセレクトショップを10年間経営した後に上京、取扱ブランドのジャパン社にてパリと東京を往復する日々を過ごす。2011年より大分へUターン。現在は「HELP YOU」でマネージャーを担当。プライベートでは、森林セラピストとして活動中。

ライター

鈴木せいら
札幌市出身。横浜国立大学大学院工学修士修了。2007年夏より、函館へ移住。制作会社でライティング・編集業務を行い、実用書・フリーペーパー等のコンテンツ制作を担当、2011年よりフリーランスに。現在、「HELP YOU」プロフェッショナルライター。理系の知識を活かしたサイエンスやアカデミー系の文章から暮らしにまつわるエッセイ、インタビューなど幅広く手がける。

20代から40代 アパレルショップ経営の大分 ほれ込んだブランドと走る東京

 

林さんのキャリアのスタートはアパレル業だったそうですね。店舗経営をされていたとか?

地元大分の公立芸術短大を卒業後、アパレルブランドや路面店で働きました。24歳の時に結婚したのですが、パートナーが美容師で「独立したい」と。じゃあ一緒に経営しようということになり、市内の築100年の蔵をリノベーションして、インポートセレクトショップと美容室をオープンしました。

店を経営する時に、私は生涯をかけて取り組みたいと思うベルギーのブランド「マルタン マルジェラ」と出会いました。ファッション雑誌「流行通信」でマルジェラの服を見て強く印象に残っていたところに、ちょうど東京のマルジェラのポップアップストアで服を買うことができました。ホテルですぐに着て、そのなんとも言えないフィット感にすっかりほれ込んでしまいました。

それから、マルジェラのジェネラルマネージャーにFaxを送り続けました。半年間のやり取りの末、ジェネラルマネージャーが「では一度パリのショールームで会いましょう」と。幸運に恵まれていたと思うのですが、その時マルジェラのアトリエにはスタージュ(インターンシップ)として、東京にいた私の親友の同級生が働いていたんです。その人が同席して、デザイナーとマネージャーにフランス語の通訳をしてくれました。

「あなたは店で何がやりたいの?」私は自分の思いを一生懸命デザイナーたちに伝えました。そして最後に、「おめでとうヒロミ。あなたは日本で初めてで、世界でいちばん小さなお店の最初の取引先ですよ」と握手をしてくれました。自分の思いが叶った嬉しさに、私は号泣してしまって。

自分を振り返ると常に、私の「好き」という言葉を受けて助けてくれる人がいた。そう思います。

離婚された後は経営を離れ、東京へ出られたのですね。なぜ上京したのですか?

やはり地方なので友達もお客様も同じ、ひとつのコミュニティーなんですね。離婚をしてしまったので、お客様が私を心配してくださっているのが伝わり、それがとても申し訳なかった。

この先の人生を仕事に打ち込んでイキイキと再出発するには、自分にはファッションしかない!と思いました。それで東京にあるハイブランドのフラッグシップ店長に応募したんです。

店長就任直後は、「 後から入社した店長は本当に実力があるの?」と思っていたサブチーフたちから冷たい目で見られました。一方で、グループが総力を挙げて表参道にオープンした旗艦店への期待は大きく、会社からのプレッシャーも。必死で働くうちに周囲の人たちの態度も変わって、一致団結してくれるようになりました。

そうするうちに、マルジェラの青山店がオープンすることになり「店長を探している、また一緒に働いてくれませんか」と声をかけてもらいました。ブランドの仕事が波に乗ってきていたので迷いましたが、どうしても昔の恋人が忘れられない思いで、転職を決意しました

それからの10年、マルジェラのブランドとともに走りました。青山店で1年ほど店長を務めた後本社に異動し、小売りの店舗を担当するリテールマネージャーになりました。それから各地の専門店を訪ねるホールセールマネージャーになり、最後は人事マネージャーに。その間、ブランドは事業規模20倍にまで成長しました。

介護のためにUターン 未経験分野の仕事を経て、リモートワークを選択

思い入れのある「マルタン マルジェラ」の仕事を退職されたのはなぜ?

親の介護をするためにUターンしようと思ったからです。東日本大震災が起きた後から、両親がよく体調を崩すようになり度々帰省していました。ある日、東京本社にいた私は関西の店長たちとSkypeで会議をしていたのですが、母から携帯に「お父さんが救急車で運ばれた」と連絡が。覚悟を決めて、大分から東京へ戻った後社長に退職の意思を伝えました。

デザイナーが引退してメゾンだけが残り、いろいろなことが変わってきたなと感じ始めていた頃でもあったんですね。ですからマルジェラの仕事に対しては、やり切った感がありました。

Uターンされてから次の仕事を探したのですか?

はい。生まれて初めて失業保険を受給した後、行政関連の2つの仕事を経験しました。

ひとつは、東日本大震災の特別枠で募集されていた養護学校の高校生たちの就職を支援する仕事です。続けたい仕事でしたが、1年間で事業が終了してしまいました。

次の仕事は、高校の先輩に紹介された能楽堂の企画広報です。これまで自分の「好き」に引かれて仕事を決めていたので、初めて人にすすめられたことに挑戦しました。能楽堂は、来館者数を増やさないと、築200年のヒノキ造りの舞台が取り壊しになるという窮地に陥っていました。そこで能楽堂を使ったアコースティックライブを提案し、その結果お客様や能楽を始める方が増えてうれしかったですね。能楽堂の企画は6年続けました。

HELP YOUの仕事をしようと思ったきっかけは?

昨年6月に父が決定的に体調を崩してしまい、早いうちに次に向けての準備をしようと思いました。そこで時間に自由がきく「リモートワーク」を考え始めたんです。

2度目の失業保険を受けながら、県が開催していた在宅ワーカー育成授業を受講しました。先生や同級生に「こんな仕事があるよ」と情報をもらった中にHELP YOUがあり、応募して面接を受けてみたんです。

スタッフのひとりとして採用され、今年の1月に所属していたチームを引き継ぐ形でマネージャーとなりました。リモートワークの仕事にチームがあり、マネージャーができることを知って、衝撃でもあり感動でもありました。

オンラインでのマネージャー職は、どのように進めていますか?

HELP YOUの組織というものがどう進んでいるか分からなかったので、まずは知ることだと思いました。ひとつはスタッフの皆さんから話を聞く、もうひとつは過去の業務連絡のチャットをさかのぼることだと思って、夜な夜な見られる限りの過去のチャットを読みました。その上で分からないことは、HELP YOUの運営メンバーに質問しています。

そうして目指すべきは「強いチームを作る」ことだと、徐々に確信するようになりました。ファッションの仕事でも、強い組織を作るためには現場をとりまとめる強い店長がいることが重要だったんです。ですから、HELP YOUの中でもディレクターがキーになると思いました。強いディレクターを育てることが、すなわち組織を強くすることだと。目標が決まったので、それを実現するためにはOJTしかないと思いました。

人を育てていく、強いチームを作る際に林さんが大切にしているキーポイントは?

失敗しても絶対にチームに戻れる、ホームと思ってもらうことです。失敗してもまた挑戦できると思えば恐れずアタックできますし、方法は見つけることができると思います。強いマインドと安心感を作ることを一番大事にしています。

好きなことをあきらめない 自分がイキイキと取り組めるライフワークの時間も

現在、HELP YOUの他にもNPO活動をしているそうですね?

2つの活動をしています。ひとつは森林セラピーのガイド、もうひとつは大分の古い歌を発掘する民俗学のようなことです。

ただ散策するだけでも森林浴には体に及ぼす良い効果がありますが、五感を使ってより効果的に森に親しんでもらえるプログラムを作りガイドをしています。

音楽では、私は20代の頃からずっと、大分でも東京でもコントラバスの演奏を続けていました。Uターンしてからもそのつながりで能楽堂でコンサートをしてもらいましたし、今その延長で松田美緒さんというアーティストのマネージメントをNPOでお手伝いしています。「ソング ツーリズム」という新しいジャンルの地方創生活動を試みています。

NPOでの活動は、私のライフワークですね。森林セラピーでも音楽でも、人を癒すようで実は私が癒してもらっていたり、元気にしようと思って元気をもらっている感じがします。

林さんにとって「働く」とは何でしょう?

私はずっと「働く女性」をやってきたと思います。常に「好き」「それをやってみたい」という自分の内側から湧き上がってくる力に突き動かされてきて、今もそうです。今あなたの夢はなんですか?と聞かれたら、私は「コンピューターおばあちゃんです」って答えたいです。なるべく長く、でき得る限り働きたいなと。それは「好き」という気持ちがあるから。自分の生活を支えるために働かなければいけない、それがやりがいのある「好き」と思える仕事で叶うのなら最高だなと思っています。

 

 

取材後記

まるで映画のように、ドラマティックな半生を過ごしてきた林さん。自分の「好き」という気持ちに従って、困難があっても挑戦を続けていけるのだと勇気をもらいました。新しいことを始めるのに、年齢や物理的な環境は問題にならない。これからもどんどん新しい挑戦を続けて、輝いてほしいです。