会社を退職し、ケニアで主夫に。今伝えたい「踏み出す勇気」

みなさん、こんにちは! 2021年4月からケニアの首都ナイロビで生活をしている富田です。2022年4月からはフルリモートワークでHELP YOUのスタッフとして働いています。もともと私は、新卒で就職した日本企業で10年間会社員として働いていました。その私が、なぜ勤めてきた会社を退職し、思い切って主夫としてケニアで生活を始めたのか。この記事では、そんな私と家族の選択について紹介させていただきます。

ライター

富田敏裕
神奈川県、藤沢市出身。新卒で化粧品会社に就職後、10年間勤務したのち退職。2021年4月からケニアに家族で移住し、主夫としての生活を始める。“柔軟な生き方や働き方を世の中に広めること”を目指し、HELP YOUでライターとして活動中。

すべては、「えっ! ケニア!?」から始まった

アフリカ大陸最高峰 キリマンジャロ いつ見ても心が洗われる

 

時はさかのぼり、2020年の夏。自宅のリビングでくつろいでいた私に、「国際機関の試験に通ったよ。ケニア赴任になりそう」と恐る恐る妻が話しかけてきました。それに対する私の第一声は「えっ!ケニア!?」でした。

それくらい私にとってケニアとは遠い国で、その国に自分が行くことになるなんて想像もしていませんでした。

すぐさまスマホで、「ケニア 治安」と検索し、安全面をチェックすると、「リアル北斗の拳の世界」とか、「世界3大凶悪都市」という言葉もあり、思わず絶句。(今考えると、だいぶ誇張された表現ではあったのですが…)心中穏やかではない中、かろうじて「いやー大変だね。応援しているよ!」と、無責任な言葉を妻にかけたことを今でも覚えています。

実は、私の妻にとって、国際機関で働くことは昔からの夢でした。結婚した当初から、国際機関に勤務するための試験に挑戦している姿を私は横目で見ていたのです。

その試験に妻が落ちるたびに、「あー……もうダメかな」と諦め気味な嘆きを聞いたことは数知れず。だからこそ、いつか妻が海外赴任する時が来るかもしれないと覚悟はしていたものの、いざその時が来るとなると、大きな衝撃を覚えました。

付いて行くかどうかで気持ちが揺れ動く日々……

想像以上に便利な世界に驚いた首都ナイロビ

 

最初、私は妻に付いてケニアに行くことが想像できず、当時4歳だった娘と日本で頑張って生き抜くことを考えていました。一緒に渡航するとなると、会社を退職する必要がありましたし、正直なところ主夫となることに不安な気持ちがありました。また、心理的にも物理的にも距離のあったケニアでの生活が想像できませんでした。

妻と娘だけで渡航することも考えましたが、異国の地でワンオペを始める……? ヘルパーさんが雇いやすい国と聞くけれど、信頼できる人がすぐに見つかるのか……? 娘は慣れてくれるのか……? など、悩みは尽きませんでした。そのため、娘と私で、日本で生活を続けるために準備を進めようとしていました。

そんな中、妻の赴任の報告から1カ月ほどたった頃、夜遅くに仕事から帰宅した私のところに、寝ていたはずの妻がやってきて「娘と離れて生活することは考えられない……!  やっぱりみんなでケニアに行く選択肢を考えられないかな?」と涙ながらに話がありました。

何年も試験に挑戦し続け、やっと夢の舞台を掴んだものの、家族と離れることはどうしても耐えられないという妻の思い……。その心痛を思うと、いたたまれない気持ちになりました。

その時から、私は少しずつ周りの方にケニアへの同行について相談するようになりました。「これこれこういう事情なのだけど、妻に付いて行くってどう思いますか?」と。人によって反応はさまざまでしたが、意外にも「絶対良い経験じゃん!」「羨ましい!」といった温かいエールを多くもらえました。同時に、「それって今の仕事から逃げているとしか思えない」と言われたこともあり、時折息苦しさも感じていました。

そんなある日、新聞で「夫婦で協力し合いキャリアを築く」という記事を見て、駐在夫(駐在妻ならぬ、駐在に同行する夫のこと)が世の中に増えていることを知りました。その記事を通して自分と同じように妻の駐在に付いて行く男性が少なからず存在することを知り、大きな勇気をもらったのです。

悩みに悩み抜いた結論「家族は一緒に」

お洒落なアート、カフェ、飲食店も充実している

 

気持ちは常に揺れつつ、人に相談したり、記事に励まされたりしていたわけですが、最終的に自問自答して突き詰めた結論は至ってシンプルでした。

「家族で一緒に生活したい」それが今の自分にとって一番優先したいと思ったことでした。妻、娘と三人で心置きなく過ごせる時間が、これまでの人生で何より大切だと思ったのです。

そしてもう一つ考えたのは、人生100年と言われる時代、いろいろな経験を積むことが「きっとこの先の人生をより豊かにしていく」と思えたのです。この機会を逃したら、アフリカに行くことは一生ないだろうな……という気持ちもありました。

そうして右往左往しながら出した結論でしたが、決断してからの月日はあっという間でした。職場への報告と退職の意向をお話しし、お世話になった方々への挨拶周りに励む日々。2021年の年始には、妻が一足先にケニアに渡航したので、私の実家で娘と暮らす日々が始まりました。たった3カ月ほどでしたが、今までの娘との向き合い方が大きく変わり、これまで以上に子育てに励みながらも仕事に邁進した良い経験となりました。

駐在して1年。豊かな自然に囲まれ、充実した日々に感謝

多様な人種の中でたくましく育つ娘

 

そして今、ケニアの首都ナイロビで生活を始めて1年が経とうとしています。最初は戸惑いも大きかったであろう娘も、あっという間にケニアでの暮らしに慣れました。妻も日々悩みながらも、夢に見ていた舞台で元気に仕事をしています。

私といえば、家事に励みながら、去年から一念発起で英語の勉強を始め、新たなスキルを磨いています。そして何より、これまで以上に家族との時間を大切に、充実した日々を送っています。

ナイロビに住んでいて何より驚いたのは、平均気温が23℃という気候の快適さです。よく「夏の軽井沢」と称されますが、豊かな自然と動物に囲まれながら、気持ちの良い気候の元で暮らせています。

当初、あんなに怯えていた都市の治安も、しっかりとルールを守り、気をつけていれば問題なく生活できます。人も穏やかで明るい方が多く、ハクナマタタ(ケニアを含む東アフリカの言葉。スワヒリ語で「心配ないさ」の意味)の精神を本当に体現している世界だと実感しています。

声を大にして伝えたい「一歩踏み出す勇気」

サファリで見られる壮大な夕日

 

4月から私は、フルリモートワークのHELP YOUでの仕事を少しずつ始めました。そんな私が今思うこと、それは「柔軟な生き方や働き方を世の中にもっと広めたい!」という強い気持ちです。

期せずして私は会社を退職し、人生をもう一度やり直すような経験をさせてもらっていますが、みなさんにも一つのレールから一旦飛び出してみるような、そんな柔軟な生き方に挑戦してみてほしいと思います。

日本を飛び出すとか、会社を退職するとか、そこまで大胆でなくても、自分の枠から一歩外に出て、普段付き合わない年代、価値観、職業の人たちと触れ合うことは、同時に自分自身と向き合う機会にもなります。それは今の仕事や自分の人生への向き合い方にもきっと良い影響を与えるでしょう。

私は、日本を離れ、多様な人種や文化背景の人々と交流することで「自分はこうあるべき」という固定概念が崩れ、より自由な気持ちで日々を過ごせるようになりました。

そして今、自分と同じようにより多くの人が、年齢・性別に関わらずさまざまな価値観との出会いを大切にしながら、豊かな人生のために「一歩踏み出してほしい」と願っています。

まとめ

私たちは誰でも、ともすると「一つの敷かれた人生のレールで生きがち」ではないでしょうか?仕事や家事に忙しければ、なおさら他のことに目を向ける余裕もないと思います。他人からの目や、経済的余裕も気になるし、なんとなくレールからはみ出ることを不安に感じる。ケニアに渡航する以前の私はまさにそうでした。でも勇気を持って決断し、一歩踏み出してみると、その先には思ってもみなかった体験や人との出会いが待っています。ケニアでの1年は、私、そして家族の人生をより豊かにしてくれました。今回の私の選択を知っていただくことで、少しでも多くの方が自身の背中を押すキッカケにしてくだされば幸いです。

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