• このエントリーをはてなブックマークに追加
目次
2018年2月より「HELP YOU」のチームマネージャーとして30人強のメンバーを取りまとめている浦野有加さん。なんと、現在「HELP YOU」のほかにも5つのお仕事を掛け持ちされているのだとか。さまざまな失敗や挫折を乗り越え、理想の働き方を実現できた浦野さんのパラレルワーク成功の秘訣に迫ります。

浦野さんの波瀾万丈な略歴を時系列にしてみました!

6足の草鞋を履く浦野さんのある多忙な1週間!


気力と体力の限界まで使い果たした新卒時代 4年目に退職を決意し、ワーキングホリデーへ

―初めて就職した企業では、慢性的なハードワークに苦労したそうですね。

新卒時代は、スタートからすでに行き当たりばったりでした(笑)学生時代ではいつのまにか受験戦争にのまれ、大学時代ではいつのまにか就活戦争にのまれ……ふたを開けたら実は楽しく仕事もできたのですが。

ただ、圧倒的に精神的にも体力的にもきつかったのは「仕事の多さ」でした。当時はいわゆる「箱入り娘」で実家から職場に通わなければならず、2時間かけて通勤し、10時過ぎまで残業していましたね。深夜1時過ぎにようやく家に帰れたと思ったら、また次の日の6時半に は家を出なければならない……という生活サイクルを毎日繰り返していくうちに、精神的にも体力的にも消耗してしまったんですよね。加えて、システムエンジニアという立場だったので、システムトラブルが起きた際には24時間体制で対応しなくてはいけない過酷な労働環境だったと思います。

しかし、3年間は続けられたからなのか、心身ともにかなり鍛えられ、多少のことでは根を上げない「タフさ」が身につきました(笑)その後、「プロジェクトマネージャー」という立場でシステム構築をお手伝いする機会も多くあり、プログラマーとして培われた知識が他の仕事に生きています。そういった意味では、就職に対して「後悔」をしたことは一度もありませんでしたね。

―過去の経験がきちんと「今」につながっていると感じられた、ということですね。その後、「オーストラリアへワーキングホリデーに行こう!」と決意したそうですが、そのきっかけは何ですか?

社会人として仕事に慣れてきて、時間やお金に余裕が持てるようになったということが大きいですが……海外に興味を持っていたのは、生まれ育った環境に関係があるのかなと思います。横田基地の近くに実家があり、物心がついたころには外国人が目の前にいることが当たり前の状況でした。それって同年代のなかでは珍しい体験だと思うんです。そのころ、基地では「米ドル」しか流通しておらず、同じ日本という場所のなかに別の国が存在している!という摩訶不思議な感覚を幼いころから体験しており、小学生の卒業文集にも「世界に興味がある!」としっかり書いていました(笑)だから、自分の源泉は「生まれた場所」由来なのかな、と。

―浦野さんの「世界への興味」とは具体的にはどのような点にフォーカスされていますか?

私は旅行が好きですが、そばで見るだけのいわゆる「観光」よりも、実際に生活をして、そのコミュニティのなかに入り込んでいくことに魅力を感じます。挨拶や食事のマナーや生活スタイルについてもそうですが、「自分と違った価値観を持った人が隣にいる!」「自分と違った生活をしている人が隣にいる!」と感じられることが、自分への刺激になっています。そこには何が当たり前ということはなく、非常にフラットな関係性で比較できるのが面白さだと思います。

異なる価値観を持った人々が共存 カナダでの体験が人生のターニングポイントに

―確かに、他国や他者を知ることで相対的に「日本」という国や「自分」という人が見えてくることがありますよね。その後に訪れたカナダでの体験はいかがでしたか?

カフェでアルバイトをしたり、日本語教師をしたり、ビザも延長して約2年間でいろいろなことに挑戦させてもらいました。私の人生のターニングポイントはこのワーキングホリデーだったといっても過言ではありません。
アルバイトをしていたカフェは移民の受け入れをサポートしているところで。インド、マレーシア、バングラディッシュ、ラオス、シンガポール、フィリピン、アフガニスタン、シリア……本当に多種多様な生活空間でした。カナダにいながら毎日さまざまな言語が飛び交うなかで働いていました。


―自分から望んでそのような環境に身を置いていたのですか?

いいえ(笑)
私が生活していた「オタワ」はカナダの首都で英語圏といわれているのですが、実はフランス語がないと生活できないのです。これは大きな誤算でした(笑)だから、英語や事務スキルを活かした仕事がしたいと思っても仕事がありません。それどころか、普通のホテルやカフェのアルバイトもベースにフランス語がないとできないといわれ、途方に暮れて……そんなときに採用してくれたのがこのカフェでした。

不況の波に揉まれ就職難に スキルを証明できる「エビデンス」を求めて

―カナダでの体験はとても貴重でしたね。「国際交流コーディネーター」というお仕事にいきついた浦野さんの原点を垣間見た気がします。帰国後にはどうされましたか?

「日本語教師になろう!」と思って資格の勉強をしていました。しかし、「いざ新人日本語教師としてデビュー!」と決心した矢先に東日本大震災がおこり、外国人たちが一斉に帰国してしまったんですよね。また、リーマンショックの煽りをうけ、日本では就職難がまだまだ続いていました。仕事の宛てがなくなりどうしたものか……と悩みましたね。

また、転職活動で直面したのが「職務経歴はたくさんあるけど、自分のスキルを証明できるものが何もない……」ということでした。また、仕事を転々としていたこともあり、転職活動ではかなり不利だったのが実情です。自分の職歴のひとつひとつを結びつけられる「ストーリー」や「キーワード」が何もなかった。だから、焦りました。どれも中途半端で、「自分はいったいぜんたい何者なのだろうか?」と。
エンジニアやデザイナーは実績が目に見えるかたちで表現できますが、事務職をしてきた私にはポートフォリオがない。それにとても不安を覚えて、事務職に関する資格がないか探してみたところ「CAP(米国秘書検定)」に行きつきました。


―海外でお仕事するかもしれないのを見越して、という意味合いもありましたか?

そうですね。講師のかたのお話を伺ったり、自分でもインターネットで調べてみたりして。オンラインアシスタントという職が10年以上前から存在していることに驚き、「秘書/アシスタント」という職がアメリカと日本では意味合いが異なることも新たな発見でした。アメリカで「エクゼクティブ・アシスタント」と表現される「秘書/アシスタント」は、上役のビジネス・パートナーとして活躍する社会的に地位の高い仕事として認識されています。
タイミング的にも、当時担っていた業務内容がまさにアシスタント業務だったこともあり「私が求めていたのはこれだ!」と食いつきました(笑)最終的には「プロフェッショナルとしてアシスタント業を極めたい!」とまで思うようになりましたね。


―浦野さんのにとって「プロフェッショナルとしてのアシスタント」とは?

上役の「片腕」という意識です。一緒に働いているひとにとって働きやすい環境を整えることが私の役割だと考えています。お互いにとって良い労働環境を作りあげることが最終ゴールなので、時には意見の衝突があります。意見の交換は、お互いの立場が対等でないと成立しません。日本ではどうしても、「秘書/セクレタリー」という職が、格下として見られがちなのですが、そのイメージを変えたいですね。上役とアシスタントは役割が異なるだけで、立場は対等であり、互いを信頼し合える関係性を築けて初めて「プロフェッショナルとしてのアシスタント」であるのだと思います。


―「言われたことを言われた通りに遂行する」のは確かにアシスタント業務の一側面ではありますが、プロフェッショナルの真髄は他にある、ということでしょうか。上役への意見は日本企業ではタブーとされがちですが、お互いが「プロフェッショナル」であり続けるためには、双方方向の信頼と敬意が不可欠かもしれませんね。では、アシスタント職のやりがいは?

やはり、自分のサポートによって相手に「助かった!ありがとう!」いわれることに尽きます。事前準備をしておいたから、新しく仕事を受注できたとか、事業が新しいフェーズにいけるようになった、とか。自分の頑張りが実を結んで、相手が成果をあげたり、評価されたりする瞬間が一番嬉しいですね。

パラレルワークへの挑戦 セルフマネージメントの失敗を乗り越えて

―現在「6足の草鞋を履いている」浦野さんですが、パラレルワークを始めるきっかけは何ですか?

当時、正社員として仕事していたのですがご縁があり、ケニア人とセネガル人の2人のアーティストから同時に「マネージャーをやってもらえないか?」とオファーがあったんです。音楽も好きでしたし、国際交流もやってみたい分野だったので、まったく経験もない状態ですが勢いでアーティストの世界に飛び込みました(笑)

―かなり思い切った選択でしたね(笑)アーティストマネージャーとして走り始めたころは苦境も多かったのでないでしょうか?

はい。右も左も分からないので、アーティストやクライアントなどにいわれるがままに行動するしかなくて。自分の時間のコントロールができなくなってしまったという苦い経験があります。

正社員だったので、平日の就業時間にアーティストの調整業務を入れてしまうと会社に迷惑がかかるし、同僚からも白い目で見られる。これはまずいと思って勤務時間が調整しやすくなるようにフリーランスに転身しました。労働時間が減ったので、当然収入も減り、生活も苦しい。

しかし、「引き受けた以上はやり切らなくては!」と踏ん張った結果、自分の持病もあり、倒れちゃったんですよ(笑)体調が復活したかなと思ったら、原因不明の蕁麻疹が全身にでてしまって……。今思うと、疲労やストレスで身体の免疫力が低下していたのでしょうね。お金の余裕もない、時間の余裕もない、完全にライフワークバランスが崩れていたと思います。心身ともにボロボロだったのが3年前でした。

―その危機的な状況からどのようにして抜け出せたのでしょうか?

仕事の匙加減が分かるようになって自分のペースが作れるようになったからでしょうか。最初はどんな仕事でも「とりあえず受けます!」と無我夢中になっていたのですが、3年も経つと冷静にスケジュールやギャランティーなどの調整ができるようになりました。

それは正社員という立場では絶対に学べない経験だったと思います。決まった就業時間に決まった仕事をする、という環境ではどうしても「セルフマネージメント」「タイムマネージメント」をする機会が絶対的に少ないんですね。だから、フリーランスとしての基礎スキルを磨くことができて結果的には良かったな、と(笑)

「仕事」の息抜きは「仕事」!一度走り始めたら止まらない!

―現在も多忙な毎日を過ごされているかと思いますが、どのようにしてスケジュールをやりくりしているのでしょうか?

すきま時間をうまく組み合わせることでしょうか(笑)例えば、通勤時間の40分間は「HELP YOUのメール/チャットチャック」や「アーティスト関連の情報収集・SNS配信」など、スマートフォンでできることは移動中に極力やりきってしまいます。

オフィス勤務中にはトイレ休憩やお昼休憩中に「メールチェック」、必要があればリモートでのミーティングも行えます。こういった働き方ができることの背景には企業やクライアントからパラレルワークをしている私に対して理解を示してくれているのが大きいと思います。あとは、単純に仕事が好きなんでしょうね(笑)家に帰るとパソコンを立ち上げるのが癖なんです(笑)

―反対に息抜きはどのようにされていますか?

息抜きが仕事です(笑)

ワークショップなどのイベント運営やアーティストのライブ活動などを土日に入れてしまうので、他のひとから見ると休みがないですが……音楽関連の仕事は、自分の趣味の延長なので仕事だととらえていません。だから、仕事をしていても自分自身が楽しめるし、リフレッシュもできる。仕事と仕事のすきまが見えているほうが、自分の時間がコントロールしやすい!「よし、ここに友達と会う約束をいれよう!」といった感じで、いいバランスが保てています。また、いま止まったら、反対にリズムが崩れてしまうと思うんです(笑)泳ぐのを辞めると酸素が取り込めないマグロみたいな感じです(笑)


理想の働きかたを継続できるように

―今後は展望ってありますか?

私の野望は2つあります(笑)

ひとつはこのパラレルワークをずっと続けていきたい、ということですね。一時期は完全リモートでお仕事するのもありだなと思っていました。「HELP YOU」では海外で活躍するアシスタントも多く在籍しているので、各国を行き来しながら仕事するのも面白いな、と(笑) でも、「職場」という環境も捨てがたい……なので、リアルとオフラインがハイブリッドのいまが自分の理想の働き方なのだと思います。

今年から「6足の草鞋」を履いていますが、実は自分から営業した仕事はひとつもないんですよね。全部、いろいろなご縁をいただいてスタートしたものばかり。そのご縁を途切れさせたくないというのもあるのですが、ひとつひとつ与えられた仕事を着実にこなして、自分への期待にこたえ続けたいと思います。

もうひとつは、マネージメントしているアーティストを世界でも活躍するアーティストにすること!これは私のライフワークですね。まだまだ発展途上であるアーティストたちをいかに世の中の方々に広めるか?日々悩みながら、今後も全力で突き進みたいです!

取材後記

どんな失敗の経験でもポジティブにとらえなおし、次へのステップ・アップへの「糧」にしてしまうのが、浦野さんの強みだと思いました。業界も業種も異なるお仕事を同時並行的に行うことで、自分のコミュニティもスキル・キャリアを拡張できるパラレルワーク。A社で学んだことがB社に活きる、B社で経験したことがC社に活きる。そういった良い影響の輪が無限に広がっていけば、社会全体にとっても心地よい刺激になりそうですね。

HELP YOU オンラインアシスタントのインタビュー一覧