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目次

(この記事は「LAXIC」より転載、編集しています。)

初めまして。これからLAXICで連載をさせていただくことになりました、今西由加と申します。

どうぞよろしくお願いします!

この連載では、今までの私のキャリアや、 その過程での悩み、 ワークライフバランスについて、そしてこれから取り組みたいことに関して、私の体験や考えをざっくばらんに書いていきます。

毎日が楽しい音楽業界での仕事の日々、 しかしこの環境で「子育て」をできるのか……

連載第1回目では、私の今までのキャリアについて触れたいと思います。私は、転職を3度経験したのち、起業しています。あまり一般的なキャリアではないかも知れませんが、様々な運や縁に恵まれて、流されるように今に至っています(笑)

私は生まれも育ちも岐阜県で、18歳の時に大学進学のために東京にやってきました。海外に行ったこともなかった田舎の子が、いきなり東京の私立大学で帰国子女に囲まれ、英語で授業を受けた時の衝撃たるや(笑)!  岐阜での生活では、英語に触れる機会も少なく(インターネットもない時代で、NHKの英会話講座だけが頼みの綱でした)、外国の方に会う機会に至ってはほぼゼロだったので、入学後は大きなカルチャーショックを受けたと同時に、もっと早くから異文化や多様性に触れておくべきだったと強く感じたのを覚えています。

大学を卒業してから約20年経ちますが、卒業後はずっと東京で仕事してきました。27歳の時に結婚、33歳で出産し、今は都内で夫と息子の三人で暮らしています。

大学卒業後、ソニーミュージックエンタテインメントという会社に就職しました。特に音楽が好きだったわけでもなく、芸能界に憧れていたわけでもありません。就職氷河期と呼ばれた時代、就職活動中に最も早く内定が出たのがソニーミュージックエンタテインメントだった、というのが一番大きな理由です。今思えば、なんともいい加減な理由で会社を選んだものです。

私の担当は「海外渉外」でした。その職種は英語を使って海外のアーティストと仕事をするというもの。大学時代に英語を専門で学んできたため、将来的には英語を使って海外と日本を結ぶような仕事がしたいと安易に思っていた私にとっては、ぴったりの職種に思えました。マライアキャリーやエアロスミスといった大物が所属する洋楽のレーベルで、日本のディレクターとアーティストをつなぐ仕事をしていました。任せられる範囲も次第に大きくなっていき、担当アーティストのマーケティングはもちろん、社内の各部署との調整や、メディアとの交渉など、たくさんの仕事をこなしていました。この時期にプロジェクトマネージメントやチームワーク、交渉術などを学べたと思います。

一方で、時差の関係で夜中以降に仕事をすることも多く、ほとんど毎日タクシーで帰宅。忙しさとストレスで急性胃腸炎で倒れたこともありました…… それでも、自分の担当するアーティストが売れた時の喜びはひとしおでした。

ソニーミュージックエンタテインメント在籍中に、27歳で結婚しました。夫は、私の仕事に対して理解があり、急な海外出張や夜中までの仕事も、文句一つ言われたことはありませんでした。

ただ30歳を目前にしてふと思ったのです。

「このままこの会社で家族を持てるのだろうか」

周りを見渡せば、その当時は子育てをしながらソニーミュージックで働いている女性はほとんどいませんでした。子育て支援などの制度もなく、制度を整えるような動きもありませんでした。

29歳、自分のキャリアを考えてみても、このまま音楽業界でずっと仕事をするのか、それとも違う業界で自分を試してみるのか色々と悩みました。その中でご縁があり、30歳の時にフランスの化粧品会社クラランスにマーケティング PR の担当として転職することになりました。

出産、新たな挑戦…… 様々な人生の転機で3度の転職後、独立

音楽業界ではずっとマーケティングに携わっていたとはいえ、化粧品業界は初めての業界です。雑誌社を回ったり、イベントを企画したり、メディア向けの発表会を仕切ったり…… ここでも毎日が勉強で、充実した日々を過ごしました。

同時に、30代前半で子どもが欲しいと思っていた私は妊活も並行して行なっていました。なかなか思ったように子どもを授からず、不妊治療の病院に通ったこともありましたが、クラランスで働き始めて約2年経った時に妊娠が発覚しました。

その時は、他のスタッフに迷惑がかからないようにと退職を申し出ましたが、その当時の上司が引き留めてくれたおかげで産休育休を取ることができました。ここで仕事を辞めずに続けていたことは、私のキャリア形成にとって大きなことだったと今では思います。日本のクラランス社内で、マーケティングのスタッフとしては初めての産休育休だったそうです。復帰後も時短勤務を可能にしてもらったおかげで、とても働きやすい職場でした。

クラランスでは、比較的自由なスタイルで仕事をさせてもらっていましたが、元来あきっぽい性格の私は、同じところにずっと止まっているのが苦手です。子どもが3歳に時に、もう少しチャレンジングな仕事がしたいと思うようになり、ベンチャーの立ち上げに参画することを決めました。

次の転職先は、化粧品のECサイトの立ち上げ。韓国ロッテの日本支社で、マーケティング責任者として仕事に携わりました。韓国ロッテが後ろにいたとはいえ、ゼロから立ち上げるサービスだったので、本当に色々なことを担当しました。ベンチャーならではの(!?) 激しい人の入れ替わりや突然の方向転換なども経験し、ビジネスの立ち上げや経営の難しさをほんの少し垣間見ることができたのもこの時です。

その後は、ドイツの下着メーカー、トリンプに転職し、デジタルマーケティングの責任者として3年間携わりました。私が独立を考えだしたのは、遅ればせながらこの頃です。自分のやりたい事について、より真剣に考えるようになり、将来的には会社という枠にとらわれずに自分でビジネスをやってみたいと思うようになりました。

そして2015年12月にトリンプを退職し、自身の会社CURIO Japan(キュリオジャパン)株式会社を立ち上げました。大学を卒業して20年近くサラリーマンとして働いていたので、独立した時はもちろん、経済的、精神的な不安がありました。ですが、やってみればなんとかなるものでもありました。私の会社はまだまだこれからですが、独立して自分で会社を経営するという判断をしたことは全く後悔していません。(自分の会社を作った経緯、その後の紆余曲折についても 追って詳しくお伝えします。)

「本当はずっと家でダラダラしたい」輝かしいキャリアの中、常に悩み続けてきた

以上が私の今までの簡単な経歴です。私のキャリアについてお話しすると「華やかなキャリアですね」とか、「順風満帆な転職をされてるのですね」とか、「第一線で活躍するキャリアウーマンですね」というようなコメントをよくいただきます。経歴だけ聞くとそんな風に見えてしまうのかも知れません。

でも実際は、結婚出産を経て私のワークスタイルも大きく変わりましたし、目指すキャリアが常に実現できていたわけではありません。様々なフェーズでその時々に考え、試行錯誤しながらなんとか今までやって来た、というのが本当のところです。

また、「行動力がありますね」とか「どうしたらそんなにポジティブになれるんですか」などと言われることもありますが、本当はいつも家にいて、誰とも会わずに映画を見たり漫画を読んだりしたいですし、やたらとネガティブなことを考えて負のスパイラルに入ってしまう時もたくさんありました。オーバーワークとストレスで急性胃腸炎になったこともありますし、会社での仕事に目的ややりがいを見出せず、勝手にふてくされていた時もあります。そしてこれからも、そんなことがたくさんあるのだと思います。

このように、常に思考錯誤しながら、私は私の人生を歩んでいます。

そこでこの連載では、それぞれのフェーズで私がどのような課題にぶち当たり、どのように解決して(もしくは、折り合いをつけて)、前に進んできたかを綴っていければと思います。

私自身まだまだ発展途上ではありますが、今までの経験を皆さんと共有できれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします!

「バリキャリママは悩みだらけ、それでも前に進む」

今西由加

 

CURIO Japan株式会社代表取締役社長

上智大学外国語学部卒業後、レコード会社で海外アーティストのマーケティング・PRを担当、その後は複数の外資系企業でオフライン/オンラインのマーケティング事業に幅広く携わり、ビジネス経験を積み上げる。

自身の留学・職業経験から、国内外で活躍できる人材育成の必要性を強く感じるものの、日本での英語偏重グローバル教育に疑問を抱くようになる。国内においては、求めるサービスが見当たらないため、グローバル人材のための新しいサービスを自ら始めるべく起業。HP:https://chezmo.jp/family/

 

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