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(この記事は「共働き未来大学」より転載、編集しています。)

こんにちは、プロジェクトサポーター・ライター、どっちもワーカーの村上杏菜です。

8月25日の日経新聞の朝刊に、「 母の就労『子に悪影響なし』親の充実感が幸福生む 」という見出しの記事が掲載されたようです。


この記事を私はTwitterで知りました。

そして、素直に「おお!素晴らしい!」と思ったのと同時に、この記事がどのようなニュアンスで拡散されていくかで、調査の意義と課題の本質とが捻じ曲げられてしまう可能性があるような気もして、一抹の不安を感じました。


平たく言えば、「子どものことは気にせずどんどん働いてOK!だって子どもに何も害はないんだから!」という雰囲気が世の中に蔓延するのは、ちょっと怖いなと思うのです。


この記事の内容をまとめると、

  • ・「働く母親の娘は専業主婦の娘より高い学歴と報酬を得る可能性が高い」等の結果を発表した3年前のハーバード・ビジネススクールの教授による調査が対象を拡大し、その最終結果が先月発表された
  • ・母親の就労の有無は子どもの幸福度に無関係であり、母親の就労の子供への精神的悪影響は観察されない
  • ・子どもが娘だと働く母親はロールモデルとなり、キャリア志向を強める場合が多い。一方、息子の学歴や報酬は双方でほぼ違いがなかった。しかし、母親が働く姿を見て育った息子は成人後、性別役割分業の偏見を持つことなく、家事・育児により多くの時間を割く傾向があることも報告された

この発表を受けて記事の執筆者(村上由美子氏)の主張

  • ・3歳児神話が根強く残る日本だが、既に20年前に「厚生白書」でその科学的根拠は否定されている
  • ・就業の有無にかかわらず、父母それぞれが自身の人生への充実感で満たされていることが重要。育児と仕事の二者択一を迫られることなく、個々の必要性や価値観に基づきライフスタイルを構築できる社会になることが、多くの日本人が幸福を感じられる条件

というものです。


記事の趣旨については私もまったくの同感です。親が働いていようがいまいが、本人たちが充実感を持って自分らしく生きていられれば、それは自ずと子どもにも伝わります。接し方だって良いものになるでしょう。


しかし、気になったのは記事の見出しです。「親の充実感が幸福生む」との文言が含まれていることに、私は少し疑問を感じました。この調査で明らかになったことは「母親の就労の有無は子どもの幸福度に無関係」という事実であり、「充実度が幸福を生む」のは、あくまで記事の執筆者の考えのはずです。しかし日経新聞朝刊でこのような見出しが掲載されていれば、「親が充実していればそれで問題ない」との裏付けが取れたと誤解する人が続出してしまうような……。


記事にある調査データについては、私は残念ながら見つけることができませんでした(ご存知の方がいらしたらシェアしてくださると嬉しいです!)。ですので、この辺りは正確には言及できないのですが、なんだか、女性を労働力として活用したい国の意思を反映したような、何やら意図的なものを感じてしまうのは私の考え過ぎでしょうか。

「3歳児神話」も「3歳児神話は神話にすぎない」の両方とも、合理的な根拠はない

この記事と自身のモヤモヤを受け、20年前の「厚生白書」に目を通してみました。


第2章第4節「親子」には、

  • ・欧米における母子研究などの影響を受けいわゆる「母性」役割が強調された背景
  • ・母親が育児に専念することは歴史的に見て普遍的でないこと
  • ・育児は父親でも遂行可能なこと
  • ・母親と子どもの過度の密着が弊害を生むこともあること

などを挙げたうえで「三歳児神話には、少なくとも合理的根拠は認められない」とあります。

しかし、それを裏付ける根拠は記載がありません。つまり、「三歳児神話はただの神話である」の根拠も存在していないのです。

そして締めくくりとして「大切なのは、子どもに注がれる愛情の質である」とも書かれていました。


「そりゃそうだろう!」とガックリくるのは私だけではないはずです。そんなのは当たり前過ぎて、やはり子どもに関するテーマはなかなか答えの出ない問題なのだなとの認識を強めただけにとどまりました……。


そして、この通称「10年白書」(平成10年度厚生白書)について調べていて、ある小論を見つけました。

3つの保育園を経営する社会福祉法人同志舎理事長、N PO法人親学会副会長であり、保育や教育に関する研究をしている長田安司氏による「『3歳児神話は神話にすぎない』は本当か?」というものです。


彼はその小論の中で、既に30年近く前に「母親の就労は子どもの発達にはっきりした影響を及ぼしていない」との調査結果を発表した『乳幼児の心身発達と環境--大阪レポートと精神医学的視点--』(名古屋大学出版、1990年)の著者の一人である精神科医・大学院教授の原田正文氏が、その後に執筆した『育児不安を超えて』との書籍の中で、

「大阪リポートの調査結果を分析しての実感では、現代の母親は育児に関して関心が高いにもかかわらず、基本的には子どもから遠ざかる方向にあるように感じました。それは、私が思春期外来(外来で思春期に問題が出た子どもたちを診察すること)で感じているものと相通じるものです。私が戸惑うのは『母親の仕事は子どもの発達に影響していない』という結果が、母親が子どもから遠ざかるという方向性を助長するものではあってはいけないと思うからです」

と記していることを指摘したうえで、

「『3歳児神話は神話にすぎない』とされると、母親と子どもの間が離れていくことに拍車がかかるのである。それこそが問題だと思う。そして、その関係性の薄さが、最近起こる悲惨な子どもの事件の背景としてあることを想像させるし、現代の病を産んでいるように思えてならないからだ」

と主張しています。さらに、10年白書の「大切なのは、子どもに注がれる愛情の質である」に対しても、


「親と子の関わりには質が高いには越したことはないが、量が確保されないのに、どうして質が保障されるのかが疑問でならない。子どもからの声は量を欲していることを現場は多くの事例で知っているからである」


と主張しています。


原田正文氏の著書を、とある市の労働組合が女性の就労を支持する本として宣伝したことや、10年白書自体の論旨が「母親は子育てよりも仕事を持った方が良いとの印象を与える展開をしている」などとも同小論で指摘しています。

「就労しているか」「していないか」の二元論では本質から外れてしまう

これらを受け、私が思ったことは次の2点です。

  • ・「母の就労が子の発達や精神的幸福度に悪影響を及ぼさない」との調査結果は、「愛情の質」の担保にはならない
  • ・「愛情の質」を担保するためには、就労の有無にかかわらず、親自身の意識的な努力が必要

まず、「質」云々の前に、乳幼児期に特定の養育者との心身の触れ合いを通じて行われる「愛着形成」の必要性はすべての親が理解しておくべき概念であることは言うまでもありません。それは母親でなくても可能でありますが、その存在をきちんと確保すること、そしてそれを第三者に委ねる場合、親自身の覚悟も必要でしょう(子どもにとってこの世で最も信頼できる人間が第三者になることに、私自身はちょっと抵抗があります、科学的には心身の発達に問題がなかったとしても)。


それが問題なくクリアできたという前提で、さらに子どもが育っていく過程の中で常に愛情の質を担保しようと思えば、親自身に「心の余裕」「幸福感」は絶対に必要です。イライラしていれば子どもに適切な接し方はできませんし、親が不幸そうにしていれば、子どもはそれを敏感に察知するからです。


親のこのようなメンタルの安定度は、就労の有無にかかわらず、個々人の意識的な努力や姿勢に左右されるものです。専業主婦(主夫)であっても、孤立してストレスが溜まっていれば幸福ではいられないでしょうし、就労しているとなれば、時間的制約を乗り越えるための工夫と共に、それに伴うストレス対応も必要です。


共通して必要なのは、「愛情の質」を高めようとする意識でしょう。


それは、自身の子どもに対して “いかに心を寄せるか” で決まるようにも思います。「この子はどう感じているのか(寂しくないか、幸せかなど)」を、知ろう、感じよう、理解しようという気持ちを持ち続けること。加えて、子どもの気持ちや要望と、親自身の置かれた状況とを、可能な限りすり合わせる努力をし続けること。


その気持ちを持てていれば、就労していようかいまいが、子どもの幸福度に悪影響を及ぼすことなどまずあり得ないだろうと私は思います。


母親の就労の「有無」そのもので子どもの幸福度を判じることなどできません。愛情の質で決まるからこそ、いまだ「3歳児神話」論争が盛り上がっているのです。


一人ひとり異なる子どもの「心」の幸福を担保できるような万人共通の法則や決まりごとなどきっと存在しないのでしょう。それは、本人と、その子に心を寄せる人にしかわからないことなのだろうな、と思います。